可愛さも焼きあげて
幸せをとどけるクッキー

株式会社 エリザ

代表取締役 大森 良真さん

株式会社エリザ二代目社長。学生時代は、アルバイトを数多く経験したり、アメリカやヨーロッパを放浪したり、自由奔放に過ごす。大学に7年間在籍したのち、同社に入社する。新しい物好きで幅広い商品を手掛ける父に対して、良真さんはアイスボックスクッキーを主軸とした事業展開を推し進め、経営を立て直した。

エリザのクッキーはどれも可愛くて、見ていて楽しい。アイスボックスという製法を独自に進化させ、プリントではなく生地を組み合わることで豊かな表現を生み出している。定番のアニマルクッキーは子どもから大人まで幅広い年齢に愛され続け、動物園や水族館のお土産クッキーとしても人気を集めている。全国菓子大博覧会において多数の受賞歴がある。

Section 1

工場の扉が開くと、バターの甘い香りが全身を抜けていく。目の前には可愛い絵柄のクッキーが製造レーンによって運ばれる景色が広がり、一瞬で幸せな気持ちになる。その始点に目を移すと、長い棒状になった生地から同じ絵柄のクッキーが次から次へと切り落されていく。アイスボックスクッキーと呼ばれている製法だ。どこを切っても同じ絵柄になる金太郎飴のような棒状の生地を作り、それを凍らせることで一枚一枚きれいにカットできるようになる。
「アイスボックスは昔からあった製法ですが、これを機械化したのは先代である私の親父です」と話す大森さん。アイスボックスの名前の由来でもある冷凍庫を見せてもらうと、先端がパンダやクマ、猫、クジラなどの絵柄になった棒状のクッキー生地がびっしりと並んでいた。この棒状の生地はどのようにして作られるのか。詳しくは企業秘密だというが、先代が大福餅と寿かまぼこからヒントを得たという。「あんこの入った大福餅を作る機械と、絵柄の入った寿かまぼこを作る機械、そのふたつの技術を応用してアイスボックスの生地を製造する機械を考えたようです。色が異なるクッキー生地を独自の金型に通して絞ると金太郎飴のような生地ができます」。

1972年、日本に初めてパンダがやってきた。先代は自ら開発した技術を活かしてパンダのアイスボックスクッキーを作り、世間を驚かせる。当時アイスボックスクッキーといえば白黒の市松模様のような単純な絵柄しかなかった。「パンダは今でも弊社の代表的なクッキーです。味や素材だけでなく、『可愛い』という新しい訴求力を持ったクッキーを生み出しました」。以来、アイスボックスの技術は進化を続け、クッキーに文字を表現できるまでになる。絵柄の幅が広がると、クッキーに無縁だった企業の目にも留まり、依頼が続々とやってくるようになった。

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先代がアイスボックスでクッキーの新境地に挑む一方、大森さんは破天荒な青春時代を過ごしていた。大学生のとき、自分の限界を知りたいと考え、1日にアルバイトをいくつ掛け持ちできるかに挑戦する。新聞配達・中央卸売場の競り・百貨店・居酒屋・パチンコ屋…早朝から深夜まで働き続け、2、3ヵ月が過ぎたときには数百万を稼いでいた。大金を掴み、せっかくなら面白いことに使おうと考え、友人と一緒にアメリカに旅立つ。そこで思わぬ出来事に遭う。

「親父が海外で現金を持ち歩くのは危ないからと言って作ってくれたクレジットカードの名義が手違いからパスポートの氏名と一致していなかったんです。アメリカにはそのカードしか持って行かなかったのに…名前が違うから使えないと言われ、無一文になりました」。
しかしそのまま友人の所持金だけを頼りにアメリカを放浪。所持金が底をつくと、ロサンゼルスの日本人街でアルバイトをし、日本人観光客からもらえるチップで帰国資金を貯めた。
「それで、いざ日本に帰ろうと思って日本領事館に行くと、自分の顔写真が掲示されていたんです。びっくりしましたね。行方不明者として保護されて日本に帰国しました」。

二十代の頃はこんなエピソードが尽きないという大森さん。若いときは勢いに任せて色んな経験をした。しかし、どれもモノづくりに勤しむ先代の姿を見るときほど気持ちが高まらなかったという。やはり、自分も同じようにモノづくりが好きなんだろうと気づき、「ええかげんに戻ってこい」という父の言葉で家業を継ぐ決心をした。

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家業に戻って最初に任されたのは、なんばウォーク地下街での出店販売だった。地下街は通常22時にシャッターを閉める。しかし、大森さんだけ23時までお店を開け、販売を続けた。飲み屋帰りの会社員がお土産用の菓子を買い求め、その売上げが全体の8割に占めていたからだ。そのことに他店も気づき、ライバル店であるベーカリー屋も営業時間をのばした。大森さんは困った。「当時のエリザはケーキやプリンなどが主力商品だったんですが、お土産として持ち歩くにはパンよりも不便で、価格も高かった。パン屋にお客さんを獲られました。そこで親父に『商品をお土産向けのクッキーだけに絞る』と言いました」。
ただそれでも苦境は続いた。郊外の開発が進み、難波以外の駅にも店舗が増えたことで、わざわざ難波でお土産を買う必要がなくなったのだ。売上が落ち、ついには赤字になっていた。
「先代はなんばウォークに想い入れがあり、意地でも店をやめようとしなかったんです。このままだったら会社が潰れると思って、相談せずになんばウォークからの退去届を提出しました」。親子げんかになったが、「意地だけで商売はできない」と絶対に引かなかったという。

大森さんは父を尊敬する一方で、自分が目指す職人像や経営者像は重なることはなかった。「先代は新しいもの好きで、あれこれ挑戦するタイプでした。ビールホップの絞りカスに栄養素が多く含まれているからといって、それを生地に混ぜたサプリメントクッキーに力を入れるようになったんです。一方で本来のクッキーがなおざりになり、会社が傾き始めていました」。自分が作りたいクッキーとは何か?そんな想いが沸々とわき上がってきた頃に、フードプリンタが登場する。アイスボックスを用いなくても、精密なイラストや写真をクッキーに描くことができる。革新的な技術に誰もが手を伸ばした。大森さんはこのフードプリンタの登場によって自分のクッキーを見つけることになる。

Section 4

大森さんは同業者と同じようにフードプリンタの導入を検討するが、すぐに違和感を覚える。フードプリンタの着色は紫外線に弱く、数時間経つと色褪せた写真のようになって品質が低下した。また合成着色料を利用することも気がかりだった。ただ、そうした点以上に大森さんの職人としてのプライドが許さなかった。
「プリントクッキーの製造において、技術として優れているのは機械メーカーであって我々ではありません。そこで求められるのは、私がやりたいモノづくりではなく、ただの作業者でした」。
それ以前にエリザでは、シルクスクリーン印刷法を用いた試作機をいち早く採用し、大手テーマパークのキャラクタークッキーなどを受注していた。それらの顧客からはフードプリンタによるプリントクッキーの提案を求められたが、大森さんは職人としてのプライドを捨てなかった。一方で、キャラクターでもあってもアイスボックスで再現してやろうという情熱が高まった。ある国民的キャラクターのアイスボックスクッキーを作り、版権元に持ち込むと、再現性の高さから「こんなことができるのか」と仰天されたという。

フードプリンタの登場は、大森さんをアイスボックスという基本に立ち返らせることになった。「アイスボックスの技術を活かして、おいしくて可愛いクッキーを作る。原材料に特別な付加価値をつけた商品も多いですが、特別なものは特別であって普遍でありません。私たちのクッキーは、ずっと変わらない『おいしさ』と『可愛さ』、そして『安心』を備えたものでなければならないと思っています」。
特異な商品を作るより、ずっと変わらず愛され続ける商品を作る方がはるかに難しい。それは特別な素材を用いたり、最先端の技術を導入したりするといった方法だけでは成しえないからだ。知識と技術、経験を幾重にも折り重ね、ようやく導き出されていくもの。だから大森さんは「決められた“作業”ではなく、常に何かを工夫し続ける”仕事”であることが大事なんです」と語る。アイスボックスクッキーはそんな”仕事”によって作られるからこそ、今でも多くの消費者や企業を魅了し続け、子どもやその家族を幸せにしているのだ。

株式会社 エリザ

〒543-0044 大阪市天王寺区国分町13-19
TEL:06-6779-5225
URL:https://eliza.co.jp/

当社支援内容
ものづくり補助金
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