浅草かっぱ橋道具街の直営店に入ると、壁にずらっと並んだフライパンに目がいく。そのひとつひとつに記された有名シェフのサインやメッセージは中尾アルミ製作所への信頼の証だ。同社はアルミやステンレスの精密な加工技術を生かし、料理界をけん引するシェフたちの相棒といえる最高品質の調理道具を創業以来ずっと作り続けている。
これでないと駄目なんだと
言わしめる調理道具
「鍋の中が1分後、2分後どういう風な状況になるかを予想できる、そういった信頼できる鍋なんです。これは私のパートナー的なものだと言えます」
「いい鍋を使うとは、使い込んで自分の鍋にしていくことだと思います。そうした意味で強度のあるこの鍋がいいんです」
ミシュランの星を獲得した名だたるシェフたちが、調理道具の話になれば「nakao」の名を口にする。株式会社中尾アルミ製作所が製造・販売する業務用の調理道具「nakao」は、料理界にとってなくはならない存在だ。国内を代表する数多くのホテルやレストランにおいて「これでないと自分の料理を創造できない」と愛用されている。
社長の中尾義明さんは「使ってみたら違いがわかります」と一言。熱伝導の良さや持ちやすさ、表面のコーティングの強さなど、一度「nakao」の調理道具を使えば違いは明らかであり、料理がおいしくなるというのだ。
「我々の調理道具は、シェフの皆様に試作を配り使っていただき、様々なご意見をもらいながら改良して現在の形になっています。これまでデザインのことを深く考えてこなかったのですが、シェフに言われた機能面を追究していくうちに我々の調理道具が形づくられていきました」。
まさにシェフの理想を結晶化させたのが「nakao」だ。業務用であることから家庭に比べて10倍以上は使用されるため、強度や丈夫さにもこだわっている。「時々、家庭で使用されているお客様から重たい、太いといったご意見をいただくこともありますが、無骨に形を変えずに作り続けています」。ただ、そうした面があっても別の調理道具に戻れないという方が多い。「nakao」は料理をする者たちの憧れの的だ。
約65年前からずっとシェフに意見を聞き続け、実直に調理道具づくりに取り組んできた。料理をする者が「nakao」の調理道具を手にすれば、そこに込められた数多くの料理人たちの思いが伝わってくるという。
原点から変わらない
シェフとの共同開発
「nakao」の始まりには、こんなエピソードが残っている。
中尾社長の父である先代は、鍋などを製造する金属加工メーカーで働いていた。そこで自らアイデアを持って改良するようになり、自分の鍋で勝負してやろうと独立を決意した。
先代はめざすなら頂点がいいという人だった。自分の鍋を使ってもらうなら、当時日本一の料理人と呼ばれていたホテルオークラ総料理長・小野正吉氏しかないと考え、思い切った行動に出る。同ホテルに日参しては小野シェフに「この鍋を使ってほしい」と懇願したのだ。当然のように門前払いをされ続けるが、ある日、小野シェフから「ここをもう少しこうしたものを作れるか」と声をかけられる。先代は小野シェフが求めるものを形にしようと必死で改良を続けると、ある時、小野シェフが先代の持ってきた鍋を床に投げ、弟子のシェフに「そこに乗ってみろ」と言った。
「お前が乗っても変形しない。フランスのパリで使われているのも、こういうものだろ。それが日本で作れるんだから、これを使おう」。小野シェフの言葉にその場の誰もが驚いたが、先代の鍋の素晴らしさに全員が納得した。
当時、良質の調理道具といえば海外製しかなかった。そこに小野シェフが認めた日本製が登場したのだ。評判は瞬く間に料理界に広がり、「nakao」は全国のシェフに使われるようになっていった。
ただ、このようなエピソードは同社の歴史のなかで数えきれないほどあったのではないだろうか。全国のシェフを訪ねては厳しい意見をもらい、必ずシェフの理想を形にしようと何百回、何千回と改良を重ねてきたのが「nakao」の歴史なのだから。今、中尾社長が最も大切にしていることもシェフとの情報交換や共同開発だ。「自分は食べるのが専門です」と話すが、日々ホテルやレストランを訪ねてシェフの声に耳を傾け続けている。そんな姿勢が「nakao」を使う理由のひとつだとあげるシェフも多い。たとえば、あるシェフは「売るだけでなく料理書を購入してくれたり、フェアに必ず顔を出してくれたり、そういったところでnakaoの鍋を買わしていただいています。要は信頼関係なんです」と話す。
父と対立し、金融の世界へ。
業界を離れた経験が会社を救う
中尾社長は、2019年にフランスから農事功労章シュヴァリエという勲章を授与した。
シェフとのつながりを大切にする同社では、先代の時代からフランス料理の協会に所属し、コンクールでの調理道具の提供など様々な支援を行ってきた。その功績が認められたのだ。「協会から唐突に履歴書を書いてほしいと言われ提出したんです。すると、フランス大使館から電話がかかって来て、勲章を授与すると言われました」。
突然の出来事に驚いたというが、中尾社長は料理やシェフに対する姿勢を先代から受け継ぎ、食文化の発展に寄与することを自らの使命として課してきたのだ。
このように先代と現代表は共通する思いを持っていたのだが、二人は一度袂を分かち合っている。中尾社長は父と一緒に10年ほど働いたが、意見が全く合わないことから同社を去った。
「父は過去の成功体験があるので、大量に作って在庫を持ち、代理店に卸せばいいと考えていました。しかし、代理店が入ることや、さらにはホテルやレストランにコンサルが入るケースが増えたことで、エンドユーザーであるシェフとの距離ができ、本当にニーズにマッチした商品を届けられているのかという危惧がありました。そこで自社の店舗を作って直接売るような戦略やブランディングを行うべきだと伝えたのですが、聞き入れてもらえませんでした」。
中尾社長は、二度と同社に戻らないと覚悟を決め、業界からも身を引く。金融の世界で起業し、ファイナンシャルプランニングを生業とした。しかし、15年前に先代が他界。親族から会社をなんとかしてほしいと頼まれ、家業に戻ってきた。
「私が心配していた通り、財務状況がボロボロになっていました。何の因果かわかりませんが、私が金融の仕事を行っていたことで、財務の立て直しを行うことができました」。運命の導きなのだろうか、この時、中尾社長は「父から引き継いだものを次代へ繋げていこう」と心を決めたという。
技術の継承から、
食文化の継承へ
中尾社長は会社を受け継ぐと、財務の改善と同時に、父に反対された直営店の運営に着手した。「街の様相は5年、10年で変わります。店舗を自社物件にしてしまうと、動きづらくて街の変化に対応できないため、賃貸にしています。また、異なる専門性をもった店舗を一定のエリアに集中して配置するドミナント戦略で、地域での競争優位性を高めていくことも狙いました」。
かっぱ橋道具街を歩くと、雰囲気の異なる3つの店舗に出会った。それぞれ顧客の層が異なり、多様なエンドユーザーとの接点が生まれている。使い手との情報交換を大切にする同社の考えが、これまで以上に反映されているのは確かだ。こうしたブランディングが功を奏し、「nakao」の調理道具の売上は伸び続け、生産が追いつかないほどになってきているという。
「nakao」の調理道具は、シェフの理想を形にする繊細な技術を機械化していることも大きな特徴だ。手作業では品質にばらつきが生まれると考え、先代が大型のドローングプレス機を購入し、厚板の均一な絞りを可能にした。その機械は今でも現役で稼働している。
ただ、機械化によって人の手が要らないというわけではない。
「同じアルミ材でも季節やメーカーなどによって微妙に違います。それによって潰れ方が異なるので、微妙な違いを把握し、現場で調整しないといけません。それができるようになるには、ものすごい経験が必要です」。
中尾社長は、受注が増える中、技術の担い手をいかに育て、「nakao」の調理道具を次代につなげていくかを、これからの重要な課題として捉えている。
「食文化を伝承していくためには、良質な道具の存在が欠かせません。料理人の技や味を弟子へ、家庭の味を子どもたちへ、そのバトンをつなぐ。そんな道具をつくっていきたいです」。技術の継承から、食文化の継承へ。中尾社長はこれまで以上に自らの使命感を高めている。
COMPANY会社紹介
株式会社中尾アルミ製作所
東京都台東区西浅草2-8-10 フジコービル4F
TEL:03-5830-8711
URL:https://www.nakao-alumi.jp/
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