全国でも珍しい燻製を売りにしたバル「けむパー」。定番つまみから創作料理、デザート、調味料までを燻製にして提供している。
店主である小林哲さんと摩利子さんは海外旅行が趣味。スペインやタイ、台湾などの現地で印象に残った料理を燻製にし、アレンジしたメニューも人気だ。
ここにしかない楽しみを求め
お客さんがお昼から集う
燻しの薫りに、選りすぐりのお酒、心地のよい会話。大阪の「食と飲みの文化」を象徴する街・天満においても、ここにしかない楽しみがある。それを求め、明るい時間からお客さんがやってくる。一組、二組と続き、店内が埋まっていく。「いらっしゃいませ」。新たな3人組が訪れ、16時にはすべてのテーブルにグラスと料理が並んだ。
お昼から飲める燻製バル「けむパー」は、平日であっても足を運ぶ人が絶えない。定番のチーズやししゃもから、チーズケーキ、アイスクリームまで、お客さんの目当てはさまざま。
どんなものも燻製の魔法で贅沢な味わいに仕上げてしまう。鮎やホタルイカなど季節ものも人気だ。
ご夫婦でお店を切り盛りする小林哲さんと摩利子さんは、昨今の燻製ブームの火付け役のような存在だ。燻製の専門店がほとんどなかった2009年にお店を開き、「燻製×バル」という掛け合わせの面白さをじわじわと広めた。今では東京や名古屋など全国からお客さんがやってくる。2022年には燻製レシピ本を出版し、話題を呼んでいる。
「けむパーの正式名は“KEMURI The Park”。公園のように、いろんな人に毎日来てもらえるコミュニティスペースのようなバルになってほしいと名付けました。そんな願いがあるので、気軽に燻製とお酒を楽しんでくださる人が増えていることが、とても嬉しいです」と哲さんは話す。
食を出すなら、燻製。
でも知識はゼロ
哲さんは埼玉出身。営業職に就き、大阪へ転勤になった。そこで魅せられたのが東京とは違うバル文化だった。「常連をつくる接客のうまさに感動したんです」。細かな気遣いから、会話を楽しませる工夫、お客さんの好みを熟知したサービスまで。これまで感じたことがない居心地の良さを気に入り、毎日バルに通うようになった。
そんなある日、「間借りでバルをやってみない」と声をかけられる。「あの感動を自ら提供できるんだ」と思った哲さんは、突然舞い込んだ幸運を逃すわけにはいかないと、営業職をしながら週末にバルをはじめた。
店名には、好きだったアメリカ映画「スモーク」からあやかり、「けむり」と名付けた。お酒と簡単なつまみだけを提供する小さなバルだったが、どんどんバル業にのめり込むようになり、営業職は7年目で退職。ちょうど結婚が重なり、夫婦でバルを経営する道を選び「けむパー」を開業した。
その時、自らのバルを特徴付けるものとして選んだのが「燻製」だった。
「転勤前に、銀座の会社裏に美味しい燻製専門店があって、常連になっていたんです。そして、偶然にも初めてのお店が『けむり』。特に燻製に深い思入れがあったわけではなかったが、ただ運命の重なりを感じて『食をやるなら燻製』と心を決めたんです」と哲さん。
とはいっても、夫婦ともに燻製の知識はなかった。料理担当の摩利子さんがインターネットで調べるところからはじめ、試行錯誤を重ね続けた。ウイスキー樽チップや桜チップ、お茶っ葉、ピートなど食材に合わせた最適なチップ。数種類のスパイスを調合する下味の工夫。ついには醬油やマヨネーズなどの調味料の燻製にも着手。開業から10年以上、探究を続け、独自の燻製法を育んでいった。
「大事にしたのは、お酒に合うこと、そして食べ飽きないようにすること。そのために食材そのものを生かす下味や燻製にこだわっています」と摩利子さん。
父からは「燻製なんて毎日食べるものではないから、やめたほうがいい」と反対された。
悔しさがバネになっただけでなく、マイナーなジャンルであるからこそ大きな可能性があると信じて工夫を重ねた。その結果、今では燻製を日常的に楽しんでくださる常連客が増え続けている。
人とつながり、自分を癒す時間を
ご自宅やご家庭にも
摩利子さんの燻製料理が話題になると同時に、哲さんの接客もお客さんの心を掴んだ。
絶妙な会話の切り返し、お客さん同士の会話を途切れさせないタイミングでのお酒や料理の提供など、哲さんが大阪のバル文化から学んだ気遣いが随所に光る。そのひとつひとつがお客さんを自然体にし、仕事の疲れなどから解放していく。
さらに、哲さんは、バルの役割のひとつを「人と人をつなげること」だと考えている。それも大阪のバル文化から学んだことだ。「接客では、話すことより聞くことを大事にしています。聞くことでお客さんの人となりがわかります。そうすると、このお客さんと、あのお客さんは気が合うんじゃないかという、つながりが見えてくるんです」。
そこから、どのお客さんを隣にすると盛り上がるか、席順にも細やかに気を配っている。
だからけむパーでは「ここで出会って結婚しました」「仕事でもつながるようになったんです」という話が絶えない。
しかし、そのバル文化がコロナ禍で危機に陥った。リアルで人と人がつながることが難しい。哲さんと摩利子さんはすぐに頭を切り替えた。一時的に自分たちが公園のような空間になるのが難しいなら、美味しい燻製とお酒を届けて、自宅や家庭を簡易バルに変えてもらおうと。
店舗2Fに燻製工房や酒類セラーを設置し、中食向けの製造・販売をスタート。燻製とお酒を媒介に身近な人とつながる時間をつくってもらい、感染が収束すれば再び「けむパー」で楽しい時間を過ごしてほしい。健康と安全、日常の幸せを想う。お客さんへの温かな心配りも大阪のバル文化で育んだ。
お客さんと生産者さんをつなげ
新たな文化が生む拠点に
コロナが収まり、「けむパー」には賑わいが戻っているが、以前と異なることがある。地元食材を用いた燻製料理や日本各地のクラフト酒を提供していることだ。
「製造や販売をはじめてから、なるべく生産者さんと会うようにしています。すると、日本には素晴らしいお酒や食材がたくさんあって、それをつくっている方々がとても素敵であることがわかったんです。自分が直接、生産現場で感じたことをお客さんに伝えたほうが、きっとライブ感があり、その良さが伝わると思います」。
生産者の声が料理やお酒といっしょに届けられる。また、生産者がふらっとやってきて、お客さんと仲良くなることも増えている。今では「生産者さんもお客さんも気軽に足を運んで、出会える公園」。それが「けむパー」だ。
「今後はコミュニティスペースとしてもっと活性化させていきたいです。テーマは“シルクロート”。いろんな人たちがこの場所を行き交い触れ合うことで、新たな人の交流や文化が生まれてほしい」と哲さん。
お客さんの心をほぐす哲さんの細やかな接客、未開拓だった燻製を魅力的な料理に昇華させる摩利子さんの探求心、そこに「バルは人と人とのハブになるような場である」という大阪のバルの哲学が加わり、けむパーならではのバル文化が深まっている。