未来の国際交流の担い手を
はぐくむ日本のお母さん。
有限会社 国際交流センター
大阪外語学院 理事長阪本 晃子さん
大学を卒業後、23歳から外国人留学生に日本語を教えている。当初は個人事業としてスタートしたが、口コミを中心に生徒数が増え、2005年に有限会社化。2010年に「大阪外語学院」を設置した。不慣れな日本での生活に慣れてもらうためには、母親のような愛情が必要と考え、「日本の母親」として留学生たちの学業と生活をサポートしている。
大阪外語学院では、アジアやヨーロッパ、アフリカなど世界各国から留学生が集まり、日本語を学んでいる。
経済成長著しいインドネシアからの留学生の数は、全国の日本語学校においてもっとも多いという。現在の生徒の中には、卒業生の子どもたちも在籍している。「自分の息子や娘にもここで学んでほしい」と2世代にわたり、大阪外語学院を選ぶ方も多い。
Section 1大阪中の外国人留学生に
支援を届けたい
コロナ禍から賑わいが戻りつつある船場・心斎橋筋。その繁華街から少し外れた一画に大阪外語学院はある。ふだん何気ない校舎前が、月に一度、様がわりする。お米、卵、果物、カップラーメン、お菓子など、うず高く積まれた食品類。さまざまな国・地域の外国人留学生が次々と訪れ、それらが手渡されていく。
ありがとう!テレマカシ!バヤルララー!
日本語、インドネシア語、モンゴル語。返ってくる言語はさまざまだが、留学生たちが見せる笑顔から感謝が伝わってくる。コロナ禍を機に始められたフード支援に、多いときには800人が訪れる。その中には他校の留学生も混じる。困っている留学生であれば誰にでも支援の手が差し伸べられている。
「感染拡大によって経済活動が止まり、外国人留学生の多くがアルバイトを失いました。生活苦だけでなく、先の見えない状況の中で精神的に追い詰められた留学生もいました。そんな留学生たちにできることをするしかないと、頭で考えるより身体が先に動き、支援をはじめました」。
配られる食品の中には、阪本さんが手作りしたキムチも並ぶ。前日に8時間かけて400食を作り配ったこともあった。「ちょっとしたことだけど、すごく喜んでくれる」と話す阪本さんにとって、その作業は大したことではない。留学生の役に立つなら苦労は感じない。そんな阪本さんの気持ちが伝播し、協賛する企業が現れ、支援の輪が広がっている。
Section 2成功するまで、
温かく、厳しく支え続ける
「私は元々、外に出ないタイプなんです」
阪本さんは、自分の性格を行動派ではないという。日本語教育も自らの意志というより、夫に勧められるままに始めた。個人事業として日本語教室を開いたのは、約30年前。中国語や韓国語の翻訳などの仕事していた中で、日本語教育の世界に一歩を踏み入れた。
当時、日本は景気が良く、外国人留学生にとって“選ばれる国”だった。日本に来れば成功できると、中国人をはじめ来日する外国人が絶えなかった。そのため、生徒募集には困らなかったという。チラシを配れば、「学びたい」という留学生が阪本さんの教室の門を叩いた。
ところが留学生の中には、経済的に困窮している人が多かった。なかには借金を抱える生徒も…。学業に専念できず、姿を消してしまう。そうした状況を前にしたとき、阪本さんの中で「留学生のためにできることは何でもやる」という感情がどんどん強くなっていた。
ドロップアウトは絶対させない。諦めそうな留学生に「時間がかかってもいい。日本の大学に進学し、卒業すれば必ず成功できる」と根気強く支え続けた。そのサポートは学業から日常生活、アルバイトの斡旋、進学や就職の相談へと広がっていった
そこにある阪本さんの姿は、元々の性格とは真逆だ。留学生のためになると、阪本さんは変わる。「今まで出来なかったことも物怖じせず積極的に行動できるんです」。今、コロナ禍に苦しむ留学生のために駆けまわる「行動派・阪本さん」は、日本語教育に携わるなかで育まれていった。
Section 3留学生と地域の方々の
架け橋をつくる教育とは
留学生を支えていくために、熱意はもちろん必要だが、それだけでは足りない。教育の充実化、学ぶ環境の整備、資金の確保など。全てに通じるのは確かな学校運営だ。「何でもやる」阪本さんは、そのひとつひとつも自ら行ってきた。教育者として歩みには、学校経営者としての歩みが重なる。
教室や学校の運営は、文字通り「まったく何も分からなかった」からスタートした。しかし、分からないながらも経験を積むなかで、ひとつ確かなことがあった。「他と同じことをしていたら淘汰されてしまう。他ができないことをする」。“大阪外語学院ならでは”をつくることに力を注いだ。
たとえば、生徒にタイムカードをつけてもらい、時間管理を徹底した。時間にルーズであることは日本社会では通用しないことを理解してもらうためだ。さらに、掃除の日を設け、生徒が学内や寮、周辺地域を清掃する習慣を身につけさせた。ここまで生徒の生活に深く入り、指導を行う日本語学校は珍しい。根底には「日本の生活に慣れて成功を掴んでほしい」という想いがあるが、それを学校経営に落とし込み、大阪外語学院独自の教育方針として打ち出している。
すると、思わぬことも起こった。「以前は、道端にタバコが捨てられていたら、留学生に違いないとクレームが来ることが多かったんです。今はそんな風に決めつける方が少なくなりました。掃除する学生に飲み物をくださる方もいらっしゃいます」と、地域の方々の留学生へ向ける目が変わったのた。
“大阪外語学院ならでは”が地域社会と留学生に新たな架け橋を築いた。各国大使館や領事館からは、国際交流や多文化共生につながる教育として評価され、感謝状が贈られている。
Section 4誰かのために
誰にもできないことをする
日本語学校はコロナ禍で最も打撃を受けた業種のひとつだ。大阪外語学院も存続が危ぶまれるほど、経営状況がひっ迫した。コロナ前に比べ収益は40%以上減少。どう乗り切るのか。あれこれ思案するより「自分たちだからできることを何でもやる」。どんなピンチであっても教育者や経営者として自ら築いてきた信念を頼りに、とにかく行動した。
第一は、生徒と従業員の安全確保。マスクの配布やワクチン接種、フード支援などを優先し、みんなを守った。第二は、収益の回復。以前から行っていた日本語教員養成講座を拡充し、日本人生徒の募集に力を入れた。
日本語教員養成講座は「通学か、オンラインか」の2択であることが多い。しかし、大阪外語学院では“理論をオンライン、実践を通学”というハイブリットにし、短期集中的に学べる独自のシステムを構築した。ここでも“大阪外語学院ならでは”が光り、すぐさま生徒が集まった。
「オミクロン株が流行し始めた時期も、感染者は出なかったんです。従業員が誰ひとり辞めることもなかった。それが何よりでした」と安堵する阪本さん。
元々の性格からすれば、現在の姿は想像もできなったかもしれない。だが「今はマネジメントやビジネスのことを考え、行動するのは楽しい」と言える一番の理由は「誰かのためになる喜び」があるからだ。
コロナは完全に収束したとは言えない。また、経済が停滞し続ける日本は外国人留学生に“選ばれない国”になってきた。日本語教育を取り巻く環境は厳しいが、阪本さんはこれからも「誰かのためにできること」を実直に取り組んでいくに違いない。その地道さが未来の国際交流の担い手を育み、さらなる日本と海外の関係発展につながっていくのだろうと思う。
大阪外語学院 国際交流センター
〒541-0057
大阪府大阪市中央区北久宝寺町2-6-14 国際交流センタービル
TEL:06-6241-6677
URL:http://osaka-gaigo.jp/
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