interview

甘くて、ときには苦い。
挑戦は、いつもチョコレートのよう

オリムピア製菓 株式会社 冨永 淳さん

建築業界での社会人デビューを経て東京のチョコレート職人に弟子入り。技術はもちろん、東京で得た人脈・トレンドの知識を追い風に家業へ戻る。2021年から4代目代表取締役に就任し、現場責任者の弟と現在会長の母とともにチョコレート工場の挑戦は続く。

センター入りチョコレートの製造体制の構築とともに、商品開発を強化。社員全員でアイデアを出しながら様々なフレーバーを検討している。その味は多くのショコラティエやパティシエにも認められ、有名洋菓子店からの依頼が増えている。

チョコレート業界を支える
OEMのショコラティエ

大阪の摂津市に、業界では名の知れたチョコレート工場がある。1934年創業の「オリムピア製菓」は、誰もが知る人気チョコレートや憧れの高級チョコレートを生み出し続けている老舗企業だ。業界では有名なのに、多くの人が一度は食べたことがある味なのに、その名前をはじめて耳にする方は多いと思う。それは「オリムピア製菓」がOEMのチョコレート職人として業界を支えているからにほかならない。

オリムピアの主力製品は、コーティングやデコレーションが必要なデザイン性の高いチョコレート。そのきっかけにもなった、40年前に開発した「りんごチョコレート」は神戸元町のチョコレート店が販売し、東京の百貨店などで爆発的にヒットした。

「当時は果物をチョコレートでコーティングした菓子は珍しかったのですが、創業者である祖父がアイデアと技術で新しいチョコレートを形にしました。今では親から子へと受け継がれ、ロングセラーになっています。ずっとリピートして『チョコレートといえばこれ』とおっしゃってくださる方も多いです」と代表取締役の冨永淳さん。

オリムピアの強みは機械作業と手作業を併用し、細かい細工が必要な高級志向のチョコレートにも多品種少量生産で対応できること。菓子製造業全体でもチョコレート製造に特化したOEM 業者は少なく、現在は東京からも多くの受注がある。百貨店のバレンタイン催事や、テーマパークのお土産、コンビニスイーツなど、私たちは気づかないうちにオリンピアのチョコレートを口にしているはずだ。

人生のどの瞬間も、
チョコレートの香りとともに

冨永さんが代表となった2021年、オリムピアの向上には新しい景色があった。クライアントからの要望が多かった「センター入りチョコレート」の製造に踏み出したのだ。

内側にガナッシュなどを入れ、外側は一般的なチョコレートで覆う。そうすることで味や食感に嗜好を凝らした製品を生み出せるのが「センター入りチョコレート」の特徴だが、複雑で繊細な製造工程が求められる。これまで量産化は困難だったが、冨永さんは顧客の声に応えたいという思いからヨーロッパの特別な機械を導入し、生産ラインを構築した。
「今まで手作業でしかできずOEMのニーズに応えられなかった。歯がゆい思いがありましたが、今後はお客様のニーズにさらに応えていけます。スーパーやコンビニ向け製品の開発・製造など新たな顧客層も狙っていきたいです」と冨永さん。

祖父が始めたこのチョコレート工場は、周囲からのあこがれの的だった。「毎日チョコレートが食べられるなんてうらやましい」今でも言われる言葉だそうだ。祖母からは、いつかこの会社を継ぐのだと言われてきた。進路を考え出した大学生のとき、代表を務めていた父が急逝した。弟の隆さんは当時まだ中学生だった。母の道代さんが代表の職を継ぎ、冨永さんは社会人経験を積むため大学卒業後に建築関係の会社へ就職する。「いつかは弟と一緒に母を支えていく、自分がやらねばと思っていました。家業を継ぐことに迷いはありませんでした」。


大きな転換点となった
東京での修行時代

建築業界で約3年学んだのち、チョコレートについて学ぶため上京した。冨永さんが師事した職人は、現在では業界で「先生」と呼ばれるほどになった。「温度管理など、一からチョコレート製造について学びました。当時はチョコレートがモダンな高級菓子として売れはじめた時代で、流行が生まれる東京でその空気に触れられたのはいい経験になりました」。
冨永さんは大阪の小さな工場だったオリムピアにも、新しい風を吹き込んだ。東京方面の顧客を獲得し、品質管理体制を整え、それまでの「安価でベーシックなものを大量生産する」スタイルから「高級で手の込んだものを小ロットで多品種つくる」スタイルにシフトさせていった。

冨永さんの片腕は、2022年で入社10年目の隆さんだ。旅行会社で営業経験を積み、オリムピアの現場責任者を務めている。「10歳年上の兄は父親代わりでした。互いの強みを活かしたチームプレーができるのは、母が僕たちを見守ってくれていたから」。兄である冨永さんが改革のきっかけを起こし、隆さんと母が支え、従業員全員で挑む。その積み重ねのうちに、オリムピアは業界で名の知れたチョコレート製造業者となった。

人々に愛される味は、
人々の声から生まれる

高級志向への転換期には、昔からの職人たちの抵抗も見られたという。「でも、時代がそれを求めている。お客さんがつくってほしいと言うなら、NOと言わないのがオリムピアだ」。これは先代である母の時代から変わらないモットーだ。自社ブランドで売り出しているのではなく、あくまでも開発・製造を請け負うオリムピアはお客さんに育てられてきた企業だと冨永さんは考えている。

「うちの会社のイメージに合うものを考えてほしい」そんな注文が入れば、オリムピアの本領発揮だ。現在は社員の世代交代が進み、若い社員が半数以上を占める。商品企画会議は全社員が参加し、若い世代の視点も積極的に取り入れている。センター入りチョコレートのために導入した機械は、入社3年目の社員が担当だ。「奇抜なものである必要はないんです。ただ、オリムピアがつくればおいしいと言われるために日々試行錯誤しています」。

変わらない味を大切にしながらも、常にアップデートを怠らない。チョコレートはファッション業界のようだと冨永さんは笑う。次にヒットするのはどんなチョコレート菓子だろうか。もしかすると、そのチョコレートは大阪の小さな工場で生まれた「第二のりんごチョコレート」かもしれない。

CAMPANY

オリムピア製菓株式会社

〒566-0001 大阪府摂津市千里丘7-7-18
TEL:0120-55-0204
URLhttps://www.olympia-seika.jp/

当社支援内容
事業再構築補助金先端設備等導入計画
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