先に動く。その積み重ねで
古紙リサイクルを持続可能に
株式会社 サンコークリエイト
代表取締役 山上 國廣さん古紙回収業界に身を置いて50年以上。卓越した先見の明で、日本の古紙リサイクル業界を牽引し、その発展を支えてきた。大手商社や中国製紙メーカーとも幅広い人脈を築き、業界内外のリーダーから助言を求められる存在である。プライベートではゴルフやクレー射撃、鳥猟を嗜む。山鳥や雉を一瞬で撃ち落とすほどの腕前を持ち、先を読み、狙いを定め、行動する力は鳥猟でも発揮されている。
南大阪を中心に、商業施設や印刷会社などから古紙を回収。種類ごとに丁寧に分別・選別を行い、大手製紙メーカーへとつなぐことで、紙資源の循環を支えている。環境への意識が今ほど高くなかった時代に創業して以来、地道な取り組みを積み重ね、地域に根ざしたリサイクルの仕組みを築いてきた。
Section 1「3R」が語られる前から、
資源を回してきた会社
古紙の塊が、壁のように積み上げられている。目の前に立った瞬間、思わず足が止まった。どこにでもある身近な「紙」が、圧倒的な物量となって迫ってくる。ここは「ヤード」と呼ばれる古紙回収施設だ。ひとつひとつの塊は、美しく整った立方体。あちらは段ボール、こちらは新聞紙。街のあちこちから集められた古紙が種類ごとに選別され、ひとつのブロックとなって、次の旅路を待っている。行き先は、新たな紙としての生まれ変わりだ。
「3R(リデュース・リユース・リサイクル)」や「循環経済」という言葉が社会に浸透してきたのは、つい最近のことだ。しかし、その40年も前から、資源循環を使命として歩んできた企業がある。株式会社サンコークリエイトだ。
ヤードの左右には、巨大な滑り台のような機械が並ぶ。バラバラの紙片がベルトに乗って上へ運ばれ、頂点で集約されると、一気に落下し、強い圧力で固められる。古紙ブロックの完成だ。
「この機械を日本で導入したのは、うちが2番目。関西では初めてでした。当時はアメリカにしかなくてね、ロサンゼルスまで視察に行ったんです」 そう語るのは、代表取締役の山上國廣さん。昭和39年から古紙回収に携わり、半世紀以上をこの業界で生きてきた人物だ。
リサイクル自体は、決して新しい概念ではない。使い古した衣服を古布として再利用するなど、人は昔から資源を循環させてきた。だが、それが「経済」として自律的に回る仕組みだったかといえば、そうではない。リサイクルが単なる「使い回し」ではなく、環境保全と社会成長を両立させるシステムへと進化したのは、比較的最近のこと。その先駆けとなったのが古紙リサイクルだ。紙を集め、再生紙として生まれ変わらせる。その循環をいかに持続可能な社会システムとして成立させるか。山上さんの歩みは、まさにこの問いへの挑戦だった。


Section 2業界のリーダーたちが立ち止まるなかで、
視線は中国へ
山上さんがこの仕事を始めたきっかけは、決して前向きなものではなかった。
創業した兄から「人手が足りない。手伝ってほしい」と頼まれ、断りきれずに業界に足を踏み入れた。古紙回収で最も重要なのは、仕分けだ。上質な再生紙をつくるには、同じ紙質を原料として揃えなければならない。当時は製紙技術が未熟で、仕分け基準は非常に細かかった。終わりの見えない作業に、土日もなく働き続ける日々。それでも徹底した仕事ぶりが評価され、会社は成長していく。やがて山上さんは兄から独立し、自ら会社を設立。業界内でも一目置かれる存在となっていった。
「古紙の組合で新事業の調査研究をしていたんですが、いざ新事業の会社を立ち上げるとなって、私に声がかかりました。業界のリーダーが二代目社長ばかりで、ゼロから会社をつくった人間が珍しかったんでしょうね」
創業者としての経験は、思いがけないプロジェクトのリーダーへと山上さんを押し上げる。だが、評価されたのは経営経験だけではない。
山上さんは、ひとり「中国」に目を向けていた。
古紙リサイクルが広がる一方で、日本国内では古紙が余り始めていた。供給過多による価格の乱高下。安定した収益を確保できない構造。このままでは、いずれ業界は行き詰まる。多くの経営者が不安を抱えながらも、手を打てずにいた。
「だから、輸出をやろうと思ったんです。日本で余った古紙を、中国へ運ぶ」
中国・浙江省には製紙工場が集積し、当時は300以上の小規模工場が存在していた。その中の一社と取引を始める。それが後に世界最大級の製紙メーカーへと成長するナインドラゴンだった。
海外ビジネスが一般的でなかった時代に、山上さんは国境を越えた資源循環に踏み出していた。古紙リサイクルの未来に、国境はない。そう確信していたからだ。
Section 3成長の裏で見えていた、
業界の危機
当時の中国は、山上さんの目には「30〜40年遅れている」ように映った。
「だから、いろいろ教えましたし、こちらも学びました」。製紙技術だけでなく、文化や商習慣の違いを一つずつ埋めていく。その過程を、山上さんは「楽しかった」と振り返る。未来の輪郭が次第に鮮明になり、さらに先の景色が見えてくる。胸が高鳴る感覚があった。
そうした姿勢が、次のチャンスを引き寄せる。中国ビジネスを進めるなか、経済産業省から声がかかった。「古紙などの産業廃棄物を原料にした固形燃料、RPFをやらないか」と。
当時、それはまだ“未来の燃料”だった。
「いずれ注目されると聞いて、面白いと思いました」
山上さんはテストプラントを立ち上げ、日本でRPFの芽を育て始める。今でこそRPFは代替燃料として知られるが、これは30年も前の話だ。山上さんは「面白い」と感じた瞬間に、その将来像を見据えていたのかもしれない。
古紙リサイクルの未来を読み、新たな挑戦を重ねるうちに10年が過ぎた。組合の新会社は軌道に乗り、山上さんは同社から退く決断をする。その間、自身の会社は息子に任せきりだった。同時に、ある不安も強まっていた。
山上さんは組合の第1回理事会で、こう警鐘を鳴らしている。
「いずれ後継者問題が起きます。そして、古紙の絶対量は減っていく。今は伸びているが、縮小する時に備えなければならない」
この言葉は、今まさに現実となっている。だが当時、共感する者はいなかった。
「組合と一蓮托生では未来がない」。そう判断し、次の一手を打つ。


Section 4「先回りの一手」を
後継者に託す
古紙回収は、リサイクルの仕組みを社会に定着させ、環境負荷の軽減に大きく貢献してきた。だが、皮肉なことに、環境意識が高まるほど古紙回収の市場は縮小する。ペーパーレス化が進み、紙そのものが減っていくからだ。逆境にどう対処すべきか。
山上さんが最初に取り組んだのは、市場縮小に耐える経営基盤をつくることだった。別会社を設立し、元会社との統合によって組織を強化。業界再編が進むなかで、主導権を握れる企業へと進化させた。それが現在のサンコークリエイトだ。
そして、次の挑戦へ。
「古紙回収は衰退産業やと思っています。だから別のことをやらなあかん。ただ、全く知らない分野に行くと失敗する。だから、経験を活かせる領域で挑戦するんです」
今、同社が注力しているのが、アルミ缶やペットボトルの回収だ。ヤードには、古紙以外の塊も並ぶ。ペットボトルは、ボトル・キャップ・ラベルが異なる素材でできており、選別は古紙以上にシビアだ。だが、長年培ってきた選別技術が、ここでも強みとなっている。
山上さんは、常に一歩先を読み、備え続けてきた。最後の仕事は、そのバトンを次の世代へ渡すことだという。ただ、後継者には、あえて多くを語らない。自分のように未来に目を向けていることを知っているからだ。見ている景色とは違うかもしれない。でも、先を見据え、動く力さえあれば、それでいい。
「たぶん、私の言うことは『古いわ』って思っているでしょうね」
その言葉の奥には、確かな信頼と期待がにじむ。
最も大切なバトンは、すでにしっかりと受け渡されているようだ。

株式会社 サンコークリエイト
〒583-0866
大阪府羽曳野市埴生野1092(本社)
TEL:072-937-6855
FAX:072-937-6866
URL:https://www.sankohcreate.jp/
- 当社支援内容
- ものづくり築補助金
