シンデレラフィットする靴を
お母ちゃんの足に「届ける」。

株式会社 ASSO INTERNATIONAL

代表取締役 芦田 道生さん(左)

大手アパレル会社での勤務を経験し、その後1年半の放浪の旅を経て、1994年に前身となる靴の製造・輸入事業を始める。現在は2001年に立ち上げたミセス世代向けのPB「ミスキョウコ」を主力に、2022年にはガーデニングブランドや移動店舗のアイデアを実行し、成功させた。まだまだ芦田さんの旅は終わらない。

達家 善継さん(右)
神戸の大手通販会社勤務時に取引先として芦田さんと出会う。定年退職後、2019年にASSOの経営企画室へ入り、内部からASSOの事業再構築に携わる。芦田さんとの何気ない会話から発想を得た移動店舗には、日本の材木を生かした木造設計など開発者・達家さんのこだわりが随所に光る。

ミスキョウコの靴を履いてから、また旅行ができるようになったというお客さんも多い。足の悩みの解決はもちろん、ミセス世代が履きたいと思えるデザイン性にもこだわっている。
東京青山の店舗をそのまま再現した「移動店舗」は、一度の訪問で3日間滞在する。期間中に友人を連れて再来店するリピーターや、近隣店舗からの口コミで訪れる人も多い。

Section 1

1995年、大震災が靴の街・神戸を襲った。特に甚大な被害を受けた長田区は、ゴム工場をはじめとした靴工場が数多く稼働する靴産業の集積地だった。靴の供給がなくなった靴屋が路頭に迷う当時の状況は、アパレルを経験してきた芦田さんにとっても、心苦しいものだった。一人旅から帰ってきた芦田さんは、旅の中で身につけた語学力と持ち前の行動力で靴市場の再生を試みる。中国工場への合成皮革靴の発注と輸入事業、これがASSO INTERNATIONALの原点だ。

後にASSOに加わる達家さんとの出会いも、この頃にさかのぼる。最初の顧客のうちの一社が、達家さんが課長を務めていた大手通販会社だった。
「あの頃の芦田さんは毎週中国に行っていました。震災の影響で靴の供給がなく、芦田さんだけが頼りでしたよ。」

靴はカタログ通販で非常に扱いづらい商品だ。試着ができず、サイズや色展開が多いため在庫を抱えやすい。しかしその弱点を逆手に取って、細かいサイズ展開を用意する戦法で2人は勝負に出た。結果は成功、ニッチな需要を取り入れて多くの注文が入った。
 30年近く靴の製造販売をしている芦田さんだが、今まで一度も靴屋に靴を卸したことがないという。ブティックや通販業者をあえて取引先にすることで、ブルーオーシャンを狙う。すでに飽和状態のマーケットではなく、必要な場所に必要なものを届けていく。業界から一歩引いて全体を眺めるのが芦田流だ。

Section 2

いつものように一歩下がって日本の靴産業を観察すると、見えてきたことがある。それは日本の革の独自性だ。日本の革はなめしの技術が独特で、なめした革は非常に柔らかく、伸縮性がある。分厚くて硬い革を成形し、美しいハイヒールを作ることが靴づくりの真骨頂と認識されてきた業界において、ひと世紀前に下駄を履き替えたばかりの日本人が西洋の老舗に勝てるはずもない。しかし、日本の革を使って日本の靴を作ればどうだろうか。柔らかくて足にフィットする革靴は、きっとだれかの「ガラスの靴」になってくれるはずだ。

そんな折、デザイナーの木村恭子さんもある思いを抱えていた。60代の母が足の痛みから外出を控えるようになったのだ。「お母ちゃんが楽に歩けて、外に行きたいと思える靴を作ろう」。木村さんのお母さんと同じように、外反母趾などで足の痛みに悩む女性がたくさんいる。お母さんたちが履きやすい靴を必要としている。理由は十分だった。2001年、足の悩みを抱えるミセス世代だけをターゲットにしたプライベートブランドが始動。木村さんの名前をとって「ミスキョウコ」と名付けた。

「職人には職人のこだわりがある。革のなめしから、裁断、形成まで様々な職人が携わって、すべて手作業で靴を作り上げるんです。本来は、発注なんて引き受けてくれないんですよ。アーティストですから」。
靴職人たちの説得には骨を折ったが、成果として需要が見えてくると徐々に職人たちの考えも変わってきた。現在ASSOの靴は100パーセント日本製、すべてが幅広・甲高の「お母ちゃんのための靴」である。「ミスキョウコは確実な歩きやすさと安全性を担保して、そこにデザイン性を加えた靴なんです」。

Section 3

カタログ通販会社がミスキョウコのコンセプトに共感し、ブランドは順調に拡大していった。しかし靴は履いてみないとわからない。2015年ごろからは大阪と東京の百貨店常設・旗艦店を拠点に、全国の百貨店でポップアップを始めた。ミスキョウコの靴しか合わないというお客さんが、次のポップアップまでの半年分をまとめて買っていく姿を何度も目にした。感謝や今までの苦労などが書かれたアンケート用紙を見るたび、「もっといいものを」という思いが強くなる。ファンが新たなファンを呼び、ミスキョウコの靴は業界で独自の地位を確立していった。

達家さんがASSOに入社した2019年当時、売り上げの約8割をBtoBが占め、直接的な小売りは2割だった。経営は安定していたが、今後BtoCを増やして、直接お客さんと触れ合う機会がほしいと考えた。年間10万足作って、10万人のお客さんに履いてもらっていても、自分達が把握している顧客は20%しかいない。顧客がどこにいるのか、どんなライフスタイルなのかもわからなかった。

店舗を増やすことは容易ではない。ひとまずECに注力したが、ターゲットは足の痛みがあるお母ちゃんだ。履いて納得しないと絶対に買わないことは理解している。なんとか「履いてもう機会」を増やさなければ。いつも「逆手に取って」ニッチな勝負をしてきたのだから、こちらからお客さんのところに出向いて売るという発想はどうだろうか。足の痛い人に来てもらうのは難しい、店舗を移動させればいいと達家さんは考えた。
百貨店のポップアップでそれなりの手応えはあったため、商品の訴求力には自負があった。ミスキョウコを試着したほぼ全てのお客さんが買っていく。しかし百貨店は大きな街の中に限られる。足が痛くて、家から出られないお母ちゃんは、各地にいるはずなのだ。

Section 4

「達家さんから移動店舗の話を聞いたときは不安でした。なんで木造トレーラー?という疑問もあって」。
実は、達家さんが付き合いのあった島根の材木業者から日本の材木市場の現状を聞き、存続が危ぶまれる林業の力にもなれると考えたのだ。「出来上がった木造トレーラーを見ると、かなり立派で存在感がありました。お店が走っているという意外性もあり、これ自体が広告塔にもなるんです。」トレーラーショップの運転手も社長の芦田さんが自らつとめ、実験的に島根・出雲での「モバイルショップ」をスタートさせた。

 芦田さんの不安は、取り越し苦労に終わった。近隣4万軒にポスティングした結果、トレーラーショップが傾くほどの盛況ぶりだったのだ。
「最初は半信半疑でしたが、実行してみると地方の百貨店のポップアップの数倍売れたんです。トレーラーの外に並んでもらうこともあります」。在庫数を積むことはできないため、トレーラーショップで試着して気に入ったものを現地で注文し、後日届ける仕組みだ。
「今まで顧客層はインターネットを使わないと思っていました。でも実際聞いてみると、SNSを見て来たという人も多くて。買わないだけで、情報収集は皆さんされているんだと新しい発見もありました」。
 
芦田さんたちはトレーラーショップというコンセプトに大きな可能性を感じている。「日本の材木業への貢献にもなるし、過疎化が進み、シャッター通りが増えている地方においても実体験できる店舗やサービスが身近になる」。ミスキョウコのモバイルショップの成功は、ECと組み合わせた身軽な実店舗の可能性を証明した。必要な場所に必要なものを届けていく芦田さんの新しい旅は、達家さんという相棒を迎えて今後さらに広がっていく。

株式会社 ASSO INTERNATIONAL
(アッソ インターナショナル)

〒542-0086
大阪市中央区西心斎橋1-12-21-601
TEL:06-6244-2155
URL:https://misskyouko.com/
   https://www.kutu-oroshi.com/

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