明治生まれの化粧品メーカー
四代目が変えるものと変えないもの

株式会社 クラブコスメチックス

代表取締役 中山 ユカリさん

「東洋の化粧品王」と呼ばれた創業者・中山太一の孫。一世紀を超えて受け継がれてきた企業精神とともに社員、商品、そして会社がそれぞれ「オンリーワン」として社会に貢献できる化粧品メーカーをめざす。「社内は訓練の場」と言う中山さんは、外に出て恥をかかないために社内でどんどん挑戦していけばいいと常日頃から社員たちに語りかけている。

「クラブコスメチックス」の名前は知らなくても、「すっぴんパウダー」の名前を聞いたことがある女性は多いのではないだろうか。
社名に使用される「クラブ」は、漢字の「倶楽部」が由来。そのコンセプトは“ともに楽しむ、美しくなる”という企業理念にシンクロする。近年では大学生を企画やPRに迎えるなど、創業の精神を継承しながら時代に合わせた商品を展開している。

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20234月に創業120周年を迎えた老舗の化粧品メーカーを牽引するのは、四代目社長、中山ユカリさんだ。「先代である父から受け継いだ社長というポジション、あっという間に20年の月日が流れました。これからはもっと私のカラーを出していきたい」と語る中山さんだが、ここまでの道のりは決して単調でも盤石でもなかった。クラブコスメチックスの歴史を見れば、彼女のこれまでの歩みも見えてくる。

1903年に神戸の地で始まった「中山太陽堂」は、化粧品と洋品雑貨の卸売がその原点だ。メーカーとの独占契約で日本の女性に高品質の化粧品を届ける。当時から変わらないものは「ひとりよりふたり、より多くの人に美しさを」という「双美人(そうびじん)精神」。創業からわずか3年後には初の自社製品「クラブ洗粉」を発売した。「日本人の肌質に合う、高品質な化粧品を届けたい」という思いから生まれた大ヒット商品となった。「私たちは品質のクラブと言われていることに誇りを持っています。研究所で開発したものを世に送り出す際、非常に厳格なチェックが入ります。老若男女、すべての人が安心安全に使える商品をつくることが創業時から変わらず私たちの軸にあります」。

創業者・中山太一氏は“東洋の化粧品王”と呼ばれ、飛行機から宣伝ビラを撒いたり、アドバルーンを使用したりと斬新な広告を展開していた。その人生や企業ドラマは小説のモデルになり、2022年『コスメの王様』が刊行された。「とにかく新しいことが好きで、なんでも取り入れる社風でした。先代の父にもそんな面があったように思います」。中山さんの父、壽一さんのモットーは「仕事は楽しく、遊びは一生懸命」。当時は遊び人の印象が強かった父も、自分が社長となった今ではそのカリスマ性が身に染みてわかる。壽一さんは当時の主力製品から名前を取り、1971年からは現在の社名「株式会社クラブコスメチックス」を使用した。同時期にはイギリスの化粧品メーカーと技術提携し、マリークヮント化粧品の独占販売権を獲得。今なお日本でファンを増やし続けるブランドへと成長させた。

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物心ついたころから自分が会社を継ぐのだとぼんやり思っていた中山さんだが、父の壽一さんの考えは異なっていた。「当時は私を後継者にしようとは真剣に思っていなかったようです。とはいえ私にもクラブグループに関わらせたいと考えていたので、修行としてマリークヮントへ入社することになりました」。グループ会社での修行が5年目を迎えるころ、経営方針の違いで先代との対立が起こった。
「私が辞表を叩きつける形で父のもとを去り、数十人の社員にも影響が及びました」。それから10年間、中山さんがクラブグループに関わることは一切なかった。7年間マーケティングを経験し、3年間別の会社で一般社員として働いた10年。この経験が今の自分の土台になったと中山さんは考えている。「クラブ以外の会社を中から見る経験を通して、社長の器以上の会社はないのだと学びました。社長の器を広げなければ、会社の成長も頭打ちになるのだと」。中山さんは経営以外にも、様々な場面での師をつくることが重要だと考えた。

「社長になれば、頭を下げる機会が減る。だから師匠を持って、それから神社に行くこと。これが、私が下積み時代にある方から学んだことです。お参りは今も欠かさず習慣にしているし、尊敬する先生もいます」。経営で壁にぶつかることがあっても、自分自身を知っていれば怖くない。そして何より、今は多くの社員たちが彼女を信頼し、支えている。「先代である父は昭和初期の人でしたのでそれなりにワンマンでした。それが時代にも合っていたし、そのカリスマ性が必要とされていた。でも、今の経営者に求められるのは人を育て、彼らを信頼する力だと私は考えています」。社長の娘として多くの葛藤を抱えながらも常に前向きに走り続け、自らの力でその器を広げてきたつもりだ。

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中山さんが家業を離れ10年が経ったころ、通販事業を行うグループ会社へ戻ることとなった。しかし世の中にまだ通販が広がっておらず、時代を先取りしすぎた事業は不振により撤退。中山さんが再びクラブを出ようと自ら父に伝えると、予想外の答えが返ってきた。「クラブコスメチックスの社長になれ」。あまりに突然だった。娘には一切その理由を語らなかった父だったが、知らぬ間に心を決めていたのだと後に母から聞いた。会社を成長させてきた父にとって、自分の考えを主張し、ときに自力でキャリアを積んできた娘は、「経営者の器」として成長したように見えたのかもしれない。中山さんが社長に就任した次の年の夏、先代が亡くなった。「会社が私を必要としている」中山さんは自分を奮い立たせ、創業から100周年という節目の年に父の会社自分の会社にする決意を固めた。

中山さんがクラブで自分のカラーを出すために最初に取り組んだのは、新入社員から管理職まで全員と向き合う「社員研修」だ。「クラブを離れていた会社員時代に私自身が経験した研修を応用したんです。社長1人対社員数百人で、最初の10年はほとんど研修に費やしましたね」。中山式の社員研修は、一般的な研修とは少し違っている。社員たちは与えられた課題に向き合い、自分で答えを出す。そこで中山さんはすかさず「なぜ」「どうして」と再度社員たちに質問を返す。「ディスカッションでたどり着いた結論をただ発表するだけでは、形だけの研修で終わってしまう。そこから自分自身の思いを語らない限り、私は合格を出しませんでした」。

現在クラブの管理職に就く社員たちは、この厳しい研修で何かを得た人たちだ。「あれほど悩んで考え抜いたことはそれまでの人生にありませんでした。でも、ある日突然、社長が言っていることがストンと腑に落ちたんです。そこからすごく自分自身についても理解が深まったし、ありがたい経験だったと感じます」。そう語るのは執行役員の山本さん。中山さんが頼りにする役員の一人だ。
「社員の中から役員を育てていきたかったんです。今は社員が研修を運営するまでになりました。こうやってどんどん私の仕事をもらってほしい」と中山さんは笑いながら語る。

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入れ替わりの激しい化粧品業界の中で生き抜いてきたクラブコスメチックス。SNSの普及によって、消費者の志向や傾向も変わってきた。近年のクラブを代表するヒット商品といえば「クラブすっぴんパウダー」だ。スキンケア感覚で使用できるおしろいで、つけた瞬間から肌がパッと明るく、綺麗に見えるというコンセプトが若い女性を中心に支持されている。シリーズ累計1400万個を売り上げ、美容系メディアではベストコスメに選ばれるなど、今では広告を打たなくても売れるようになったこの商品だが、スタートダッシュは芳しくなかった。実は女子大学生の意見を取り入れ、パッケージデザインを改良した結果、売り上げが一気に倍増したという。

現在は、女子大学生のアンバサダーが商品のPRを行っている。ここ数年前から続けてきた大学生とのコラボで、この経験からクラブコスメチックスに入社する人もいるほどだ。若い人たちが意見を出し合って商品を企画する、その機会を提供していきたいと中山さんは考えている。「今の中学生・高校生はプレゼンの授業があって、自分の意見を述べるのはとても上手なんです。でも、彼らが会社で働き始めたとき、上司がそれを受け入れることができていない。役職に関わらず意見を主張し、補い合ってより良いものを作り上げていく土壌を育てていくことが重要だと考えています」。

インフルエンサーの起用やメンズコスメの開発など中山さんが四代目として新たな挑戦を続ける一方で、クラブコスメチックスには100年を超えるロングセラー商品もある。「より多くの人に美しさを」という軸はそのまま、「美しさ」の定義は時代に合わせてしなやかに変わっていくのだろう。「社長に就任して20年、これまでは会社を守っていくという気概でいました。父とは違う、社員たちを育てて頼っていくのが私のやり方。法律の分野なら、その専門家に任せる。SNSなら、インフルエンサーに任せる。私たちは品質のクラブとして、化粧品を作ることだけをひたむきに続けたい。」これからは“自分の会社”だと意気込む中山さん、彼女がめざすこの先の20年には、荒波をともに乗り越える頼もしい仲間がついている。

株式会社 クラブコスメチックス

〒550-0005 大阪市西区西本町2-6-11
TEL:06-6531-2990
URL:https://www.clubcosmetics.co.jp/

クラブコスメオンライン
https://club.cosmeonline.com/

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