国際的なスクラムで
業務用家具の業界勢力図を変える
株式会社 三吉
代表取締役 前田 佳孝さん大学を卒業後、コクヨ株式会社に入社。営業職を5年経験し退職。三吉に入社し、現場スタッフから営業職までをひと通り経験し、営業部長、取締役、社長へと就任した。当初から家業を継ぐことを意識し、業種が近いコクヨで経験を積むことを選んだという。学生時代はラグビーに熱中。ラガーマンとしての精神が経営にも息づく。
外食店やカフェ、イベント施設、レジャー施設など、自宅や職場以外の場所。そのすべての空間を居心地よくする家具を製造しているのが株式会社三吉だ。機能性もデザイン性もあり、その場所にとって最適な家具をつくり上げる。クオリティの高さから全国展開する大手飲食チェーンやアミューズメントチェーンからの依頼も多い。
Section 1浮き沈みを経て生まれた
業務用家具メーカー
「今日ランチを食べたお店の椅子、座り心地よかったなあ」。外食した時にふと気づく快適さ。それはもしかしたら株式会社三吉が製造した家具のおかげかもしれない。「家具業界は主に3つに分かれます。一般家庭用家具とオフィス家具、そして、それら以外。このそれら以外がすべて業務用であり、私たちが扱っている商品です」。そう分かりやすく説明してくれたのが同社代表の前田佳孝さんだ。三吉は大手外食チェーンをはじめイベントスペースやブライダル施設などの多様な家具を手がける業務用家具メーカー。人気店の家具も数多く製造している。きっとあなたも日常的に利用しているはずだ。
「業務用家具は家庭家具やオフィス家具のように既製品を売ることができません。特注品ばかりなんです。こんなお店をつくりたいというお客様のイメージからはじまり、理想の家具をつくっていく。ニーズを具現化する知識や技術、ノウハウがないと成り立たない。作り手の能力がカギになってきます」と話す前田さん。その歩みには家具とともに「人」への注目があった。
三吉の原点は、先々代が始めた椅子づくり。戦後復興の時期と重なり、椅子はつくれば飛ぶように売れた。しかし昭和30年代後半から海外製の安い椅子が輸入され、苦境に。その状況を業務転換で打開したのが前田さんの父である先代だった。製造だけでなくあらゆる家具を仕入れ販売を行う「家具の総合商社」として成長を遂げ、高度経済成長期を駆け抜けた。しかしインターネットが登場し、エンドユーザーがメーカーと直接つながるようになると売れ行きが伸び悩む。そんな時代に前田さんは会社に入った。
「このままでは大企業に飲み込まれてしまう。独自路線でいかないと終わる」。誰よりも危機感を持った前田さんが打った手が「業務用家具の製造」だった。あえて家具の中でオーダーメイドが多いニッチな領域を主戦場に選び、競争優位を築く。そのためには特注品を製造できる技能を持つ人材の確保が不可欠だった。
Section 2タッグを組むなら
カンボジア人と決めた
製造業全体が人材不足であえぐなか、国内での人材確保は容易ではない。前田さんは新たな戦略を打ち出したとき、その目はすでに海外に向いていた。2011年社長に就任し、すぐアジアへ。まず向かったのがミャンマーだった。
当時、ミャンマーは軍政から民政への移管が始まり、日本政府が企業の進出を大々的に後押ししていた。政府の売り文句に前田さんは「現地に行ってみないとわからんやろ」と冷静に判断。案の定、海外企業を受け入れる環境整備は全く進んでいなかったのだ。様々な宗教が入り乱れ、対立も起こっていた。「やはり百聞は一見にしかずなんですよ。それからアジア全部を回りました。フィリピン、ベトナム、マレーシア、ラオス、バングラデシュ…」。その中でカンボジアだけ前田さんの目に異なるように見えたという。
「笑顔の多さに気づきました。ポル・ポト政権の悪政が国を衰退させ、最貧国のひとつとして挙げられることもあった。そんな状況下でも日々の喜びを感じ、強く生きる人たちがいる。この人たちとタッグを組みたいと思いました」。もしかしたら戦後の復興を支えた祖父や父の姿が重なったのかもしれない。「日本人に近い雰囲気を感じたんです」。
前田さんは直感だけを頼りにせず、食事・文化・生活環境・レクリエーション環境など様々な点からカンボジアを入念に調査。ここなら駐在員も安心して生活できると判断し、工場建設を決めた。
「日本に帰ってカンボジアに決めたことを役員たちに話すと、どんどん眉間に皺が寄っていくのがわかりました。三代目は何を言っとんねんと。でも一度現地を見てくれと説得し、みんなで視察をすると全員が納得してくれました」。国や第三者の宣伝文句ではなく、人材は自分の足で見つける。それが前田流だ。
Section 3国際貢献を見据えた
企業内転勤制度
当時のカンボジアでは、小学校を卒業すると農業などの家業を手伝うことが普通だった。誰も家具づくりをしたことがないし、寸法を測るための簡単な計算もままならない。前田さんはカンボジア工場が通常稼働するまで10年を見込んだ。家具職人が一朝一夕で育つわけがない。「長期間の育成を見据えて、社内を動かしていくことが自分の役割なんです」。同時期にカンボジアに工場を建てた日系企業の中で、人材が育たず5,6年で撤退したところは少なくなかった。前田さんからすれば、それはカンボジア人の責任ではなく、経営陣が人材育成を放棄しているようにしか見えなかった。
10年という期間には、日本で技術を学んでもらうことも念頭にあった。「まず技能実習制度を思いつくのですが、ネガティブな印象しかありませんでした。来日前に現地の送り出し機関で70~80万の借金をする。来日後は監理団体から毎月2~3万円を抜かれる。借金返済と監理団体費、そして自国の家族への仕送りを差し引いて残る給与はごくわずか。生活できるわけがない」と話す前田さんからは怒りが感じられた。
技能実習制度は、人をビジネスの道具としてしか見ていない、そんな制度は利用しない。
前田さんが考えたのは「企業内転勤制度」だ。カンボジアに100%出資の子会社をつくり、現地の方を採用し教育を行う。一定のレベルになれば日本の工場に来てもらう。これなら借金をせず、自分の頑張りがすべて還元され、腕を磨くことができる。現在この制度を利用し、30人ものカンボジア人スタッフが日本で学んでいる。
「企業の存在意義とは何か。それは社会貢献だと思うんです。三吉という社名には『売り手によし、買い手によし、世間によし』という近江商人の三方良しの考え方が込められている。企業内転勤制度には国際貢献への思いが強くあります」。
Section 4ラグビーで学んだ
組織マネジメントで戦う
前田さんが経営を語る時、「人」の話が中心になる。教育や人材配置、働きやすさ、社員のやりがいなど。「人それぞれに適性や希望があり、役割もあります。それを組織全体と社員一人ひとりの視点から捉え、教育や組織のマネジメントを行っていく。それが仕事の半分を占めています」。
前田さんが「人」に注目するようになった原点はラグビーだ。花園でのプレイをめざし、高校・大学の青春時代を捧げた。「ONE FOR ALL,ALL FOR ONE」「ONE TEAM」。ラグビーはチームプレイを象徴するようなスポーツだ。「フォワードやウイングなどポジションごとに役割があります。全体のチーム方針を明確に打ち出し、それぞれの役割を持ったプレイヤーをいかに動かしていくかで勝負が決まります」。個の役割だけでなく、全体の戦略だけでもなく、両方の視点でチームをマネジメントしていく。まさに前田さんが実践する組織経営の考え方と同じだ。
「個とチームの両方のパフォーマンスを高めるために、どう動いたり、どんな情報を提供したりするか。そんなことを無意識に経験値として身につけていたのかもしれません」。大学時代の前田さんのポジションはフランカー。攻守の最前線としてもっとも体を張るポジションだ。目立たないが、総合的な力が求められる裏方としてチームを支えるため「良いフランカーがいるチームは強い」と言われる。
カンボジア人スタッフが困ったことがあれば、隣に座ってじっくりと話を聞き、どうしていくかを一緒に考える。スタッフの共通項を見つけ、コミュニケーションがしやすいような環境づくりにも気を配る。目立たないところでもチームを支える前田さんの姿がある。
カンボジア人とタッグを組み、約10年が経った。今チームはいい状態だ。海外に人材を求めたことでコストを抑えることができ、さらに見事なマネジメントで従業員の技能だけでなく士気や満足度向上にも成功した。優秀な人材を武器に、三吉は業界でのシェアを広げている。
株式会社三吉
〒541-0046 大阪府大阪市中央区平野町1-8-7 小池ビル12F
TEL:06-6226-3244
URL:http://www.e-mitsuyoshi.co.jp/
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