メーカーの夢物語を叶える
専用生産設備をつくる

株式会社 セディック

代表取締役社長 大澤 稔さん

20歳の時に現在の前身である誠電社に入社。全国を駆け回り、自動車や鉄道など様々な分野の生産設備の構築において実績を重ね、工場長に就任。平成2年に誠電社の跡を継ぎ、株式会社セディックを設立。専用生産設備のプロフェッショナルとして日本の産業の発展を支え続けている。

専用生産設備メーカーとして自動車から鉄道、建機、家電までの幅広いジャンルの大型生産ラインシステムを手がける株式会社セディック。その歴史は前身である誠電社の頃から約90年にも及ぶ。FA化や省力化などへの細かなニーズに応える対応力が同社の強みであり、国内の主要メーカーから指名で依頼されることも多い。

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日本の基幹産業ともいえる自動車産業。その生産ラインは合理性が細部にまで貫かれ、高度な技を機械に移植することでクルマづくりを革新してきた。圧倒的な生産効率と品質の高さを生み出すそのシステムは、まさに自動車メーカーの思想を具現化したものだといえるだろう。そんな生産ラインの設備を構築し、日本のクルマづくりを支え続けてきた企業がある。浜松市に拠点を置く株式会社セディックだ。国内の主要な自動車・トラックメーカー10社に製造ライン設備を納入している。コンベア、リフト、ターンテーブル、クレーン、組立までどんな装置にも対応し、それらを組み合わせながら自動車メーカーが理想とするものを実現してきた。

各メーカーから届けられる仕様書を開くと、その中には夢物語のようなものもあるという。これをどうやって自動化できるか。思い描くのは簡単だが、実際に機械によって成り立たせることは至難の業だ。しかし「ビジネスにおいて『ノー』とは言いたくないんです」と話すのが同社代表取締役の大澤稔さんだ。社内の誰よりも諦めが悪く、同社の設立以来35年、先頭に立ち続けてきた。いま生産ラインの設計・製造では「ノー」と言いたくなるような依頼が増えている。情報技術が急速に進歩し、自動化や省力化に対するニーズが複雑になってきているのだ。ますます難易度が高くなっている状況に対して「勉強は怠りなくやっています」と話す大澤さん。80歳を超えても率先して困難に挑む姿が社員たちを刺激している。

「私たちの仕事は量産ではなく、一品生産です。お客様からの仕様書に対して毎回4~5社の競合他社との相見積もりが行われ、その中で受注を勝ち取らないといけない。その都度、何をつくることになるか分からないし、先がさっぱり読めないです」。
それも、そのはずだ。大澤さんのような設備製造者に提示されるのは、日本の錚々たるメーカーがモノづくりを革新させようと新たに描いてきたアイデアのラフばかりなのだから。それを実現し、メーカーから信頼を勝ち取ってきたセディックの歩みは、日本のモノづくりの発展に大きく寄与してきた歴史だともいえる。

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セディックは、自動車だけでなく、世界に誇る日本のもうひとつの輸送技術の発展にも大きく関わってきた。国内の長距離移動に欠かせない「新幹線」だ。
「当社は新幹線の部品供給や検修設備の製造に携わっています。それは同業他社との大きな違いです」。同社は橋形やテルハなどの4種類のクレーンの製造許可を持ち、電車の車両を吊るすクレーンを製造することも可能だ。また、線路で繋がっていない作業場所に車両を横移動させるトラバーサなど、鉄道車両の製造や検修に欠かせない設備を数多く手がけてきた。他ジャンルの製造ラインに比べて規模も重量も桁違いだが、求められることは変わらない。鉄道会社が描いてきたイメージをいかに機械化・自動化できるかが肝だ。

「新幹線の車輪はひとつ500キロもあるんですが、車輪を外したあとに自動で運搬して立体倉庫に格納するという仕事を受けたときは、苦労しましたね。子どもの頃に自転車のタイヤを棒で転がして遊んだ記憶を出発点に、車輪を自動で転がす方法を追究したのですが、地震が起こっても倒れないようにするなどクリアしないといけないことがたくさん。最終的には車輪を一気に動かすのではなく少しずつ次の場所から次の場所へと送り出すような方法で形にしました」。

大澤さんが依頼主の要望を形にしようとするとき、頭の中では身近な生活道具から遊び、最先端の技術まで、あらゆることが縦横無尽に駆け巡る。そこからヒントを掴み、困難な要望にも応えていく。社員からアイデアマンと呼ばれる所以だ。そんな大澤さんの才能を見抜き、この業界に引き入れたのが同社の前身である誠電社の当時の社長だった。大澤さんは20歳だった。夢の超特急と呼ばれたゼロ系新幹線が誕生し、その歩みをスタートさせたとき、大澤さんのキャリアも動き出した。

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「ゼロ系新幹線が走り始め、浜松で全般検査が行われていました。ただ、故障が多かったので、故障対策のための検修設備を整える必要があり、白羽の矢が立ったのが誠電社でした。それで人手が必要になり、スカウトされたんです」。
誠電社の社長は、新たな人材に5つの条件を出していた。電車のことを理解している、機械図面が描ける、製造にタッチできる、営業感覚がある、顧客と先を見据えた話ができる。
そのすべてが備わっていると口説かれたというが、当時の大澤さんは配達車の運転手だった。機械科を卒業していたものの大抜擢の人事だといえる。誠電社の社長は大澤さんに才能の原石を見出したのだろう。技術者としてだけでなく、もしかしたら会社を引っ張っていく存在になるかもしれないと。

大澤さんという若い力が加わった誠電社は、浜松の新幹線工場で着々と実績を重ねていった。同時に新幹線の路線が拡大し、工場も全国に広がっていた。大澤さんは浜松での実績を携えて東北から九州まで全国の工場に営業に赴き、新たな仕事を受注していったという。こうして新幹線の発展の歩みに誠電社の存在は欠かせないものとなった。
しかし、波に乗ったことが堅実な経営を狂わせ、無茶な舵取りをするようになると、業績は急激に低迷。誠電社は倒産を迎えることになってしまった。

「当時、私は工場長として事業全体を仕切る立場だったので、今後についてメインバンクと対話を重ねました。銀行は継続してほしいという思いがあり、私が社長をやるなら応援すると言ってくださいました」。
大澤さんは誠電社の事業規模に限界を感じていたことから、新しい経営方針と工場を構想し、日本のモノづくりにいっそう貢献しきたいという考えを銀行に伝えたという。その熱い思いに打たれ、銀行は投資を決意。大澤さんが45歳のときに「セディック」が始動した。当時、新工場に掲げられた「A(アタック)-20」という言葉は、今も大きな存在感を示している。売上20億、20年続ける、原価率20%減。目標が達成された現在、その言葉はセディックの成長を物語るとともに社員たちの自信につながっている。

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大澤さんが構想したのは、専用生産設備に特化し、要望以上のアイデアによって「セディックなら何とかしてくれる」を実現することだった。そのために対応力と品質、スピードを高め続けてきた。開発にも力を入れ、コンベアだけでも10種類以上を自社開発している。また、技術的な面だけでなく、設計から制御、製造、立会い、持ち込み、試運転、アフターサービスまで一貫したサポート体制を整えることによって、メーカーから高い信頼を得ている。
新幹線での実績は、リニアモーターカーの工場設備の製造へと繋がり、次世代の輸送技術の構築にも携わっている。一方で、自動車産業では日本メーカーの海外製造拠点の設置においてもセディックの存在感が強まり、中国からインド、東南アジア、南米、ヨーロッパまで世界中の工場に生産ラインを納入している。海外にはスーパーバイザーを現地に派遣し、現地作業員の指導や設備の立ち上げを支援している。

セディックはメーカーからの数多くの難題に応えてきた。その実績があるからこそ、メーカーからの期待が高まり、より複雑で難しい依頼を受けることが増えている。今、セディックでは「ノーとは言わない」をモットーに専門家との情報交換や物流設備の見学など、様々な勉強や研究、開発に取り組み、これまで以上に対応力を高めている。しかし、ひとつだけどうにもならないのが設備の大きさだ。セディック設立とともに立ち上げた工場は幅50m。今ではその規模を越えるような設備をつくってほしいという話が舞い込むが、受け入れが難しい場合もある。
「現在の工場は手狭になってきているので、もっと大きい工場を持つことが目下の課題です」と大澤さん。セディック設立から35年、日本のモノづくりを取り巻く環境は大きく変わり、国際的な競争力の低下など厳しい状況もある。今後、世界で日本メーカーが生き残っていくためには新たな夢物語を描く必要があり、それを叶える生産設備がなくてはならない。大澤さんは、これからの日本のモノづくりの発展ためにも専用生産設備のプロフェッショナルとしてさらに成長していきたいと話す。

株式会社セディック

〒430-0841 静岡県浜松市中央区寺脇町713番地
TEL:053-442-5211 FAX:053-442-1490
URL:https://www.sedick.co.jp/

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