現在、まこと紙器の主要顧客には誰もが知る大手ECサイトや大手上場企業などが名を連ねている。社内で独自に開発した販売・生産管理システムによって、シンプルな段ボールだけではなく、長尺物などの幅広い梱包材を小ロットから受注できることが特長だ。
誰もが知る配送用の箱には
技術者の熱意が込められている
大阪府大東市、数多くの工場が稼働する街の片隅に、半世紀以上続く段ボールの工場が ある。「私たちは段ボールをはじめとする包装資材の製造・販売を行っています。業界の中には材料製造から手掛ける“段メーカー”と、材料を購入して製造する“ボックスメーカー”の2形態があります。我々は後者にあたり、印刷技術の高さが強みです 」。そう語るのは「まこと紙器」の三代目・釜洞貴行さん。まこと紙器で働き始めて20年近く、社長としては5年目を迎えた。自分たちを謙遜して「みかん箱屋です」と話すが、まこと紙器は単純にそう受け取ることができない進化を遂げている。
オンラインショッピングの普及により、段ボール製造業の最終的な顧客が“一般家庭”へと変わってきた現代。段ボールに求められているのは、梱包材としての役割だけではなくなった。一般の人々が段ボールを手に取る機会が増えたことにより、企業が梱包資材のデザインに力を入れるようになったのだ。ブランドイメージを表現したものや、ECサイトまたはフリマアプリのオリジナル梱包材などが増えたのは、消費者である我々自身がもっともよく知っているところだ。まこと紙器で扱う段ボールの中には、大手ECサイトの名前や細かいグラフィックが印刷されたものなどが目立つ。オンデマンドによって様々なデザインに対応していくことが、業界で生き残るための技だと釜洞さんは考えている。
なかでも、まこと紙器が得意とするのが段ボールへの写真の印刷だ。その再現性が非常に優れていると自負する。「他社と同じ機械を使っているんですから、あくまでオペレーターの技術や心構えによるものです」。印刷された段ボールの現物を見たクライアントが「こんなにきれいに印刷できるんですね」と驚くのも、まこと紙器では日常茶飯事だ。「最初から段ボールでイメージ通りの印刷は出ないものだと思ってクライアントは発注しているんですね。従業員たちはそんな固定概念がなくて、『出さなあかん』と考えているみたいです。最終の調整は人力ですから、その意識の差だけです」。当たり前のように受け継がれてきたまこと紙器の“クラフトマンシップ”が、彼らの技術力を底上げし、また仕事に対する誇りを高めている。
小さなボックスメーカーが
強みを見つけるまで
まこと紙器ではさかのぼること20年程前、先代が化粧品の小箱の印刷を始めた頃から細かい文字などの印刷を得意としてきた。資材を受け取って、印刷だけして戻すという業務形態。型抜きなどはせず、他の工程については近所の同業者と互いに補い合いながら展開した。現在もこの協定は続いており、レベルの高い印刷はまこと紙器が担当し、木型による打ち抜きなどは協定内の同業者に任せている。導入設備を分散させることで、地域の同業者が一丸となって業界での競争力を高め、競合することなく相互に事業を維持する。その仕組みがまこと紙器の強みを育んでいった。
今でこそ高度な印刷技術が取引先・提携先にも知られる彼らだが、そこにたどり着くまでには数々の試行錯誤があった。 特に長年の課題だったのが、印刷のかすれやズレ、または印刷ハンコの樹脂にほこりがついて印刷が飛ぶなどの典型的な不良を完全に無くすことだ。その実現のために、近年、 1枚1枚を検査するカメラを導入した。以前までは社員が手作業、目視で行っていた確認作業だが、カメラの導入や機械の性能向上にともなって不良はほとんど見られなくなった。
「昔、段ボールは商品を保護するもので、多少の印刷ミスにクレームは入らなかったんです。現在は段ボール自体がひとつの製品という見方になっていて、年々品質レベルが上がっています。箱の中にもメッセージがあったり、受け取る人に配慮した開けやすいデザインだったり 、日本人らしいなと思いますよね」。デザイン性が重視される「美粧ケース」では、色味や重ね刷り位置など、細かい版の調整が必要だ。近年ではデザイナーが立ち会う機会も増え、経験に裏打ちされた印刷の再現性がまこと紙器の武器となった。
肩書きだけでは社長になれず、
一人では社長と言えない
釜洞さんが二代目・現会長の娘である裕美さんと結婚したのは22歳の時。当時、釜洞さんは別の仕事をしていたが、リーマンショックで仕事が失い、先代に頼んでまこと紙器に入社した。8年間は製造として工場の仕事を覚えて2010年からは営業に、2018年に現会長が60歳を迎えた節目で代替わりをした。「引退なんてとんでもない。会長は今でも工場でずっと働いているんですよ」。朝、従業員が出勤するまでは2人で仕事の話をする。月に2回は飲みに行って、一緒にゴルフにも行く。義理の父と息子ながら、非常にいい関係を築かせてもらえたと釜洞さんは語る。
パートナーの家業を継いだ釜洞さんだが、実家も地元で家業を営んでいた。祖父とともに経営に携わっていた母から、ある日「まこと紙器には何人従業員がいるのか」と聞かれ、20人と答えた。「20人だけの生活じゃない。その3から4倍は、あんたのせいで生活失うよ」と言われた。「そんなこと考えたことなかったんです。それまでは仕事を獲ってくれば十分だと思っていたから」。当時社長になってすぐのことだった。それ以降は社員たちへの見方も変わり、代表として従業員だけでなくその家族の生活を守るという広い視野を持つようになった 。
社長としての釜洞さんを形成するのは、母からの言葉だけではない。会長から常に言われることは、「おかげ」を忘れてはいけない、一人ではなにもできないということ。「今の自分があるのは先祖と周りの人のおかげ、確かにその通りだと思います」。釜洞さんは社員にもその意識を持ってほしいと考えている。現場が長かった釜洞さんは、現場での質問や愚痴も社員からよく聞かせられる。そういう時必ず伝えることは「人のいいところを見るようにして」。誰かに対して不満があったとしても、その人がいるから自分の作業が時短になっていると気づいてほしい。釜洞さん自身がこの20年で教わってきたことだ。
人を育て、会社を守ることが
携わる人の生活を支えることにつながる
上役が身内で固まっていたまこと紙器だったが、釜洞さんは「社長以外も代替わりをしたい」と提案した。自分なりに熱い想いを語り、失敗も覚悟のうえで2023年6月から体制を一新したという。新体制のアイデアについて、最初に口にしたのはいつもの会長との飲みの場だった。酒の力を借りなければ言えないほど、有り得ない人員配置だったのだ。案の定会長からは「その発想はなかった」と言われた。主要メンバーを外して若手と入れ替えるような配置、リスクが大きいというのは自分自身でも分かっていた。しかし、身内である上役が退いたのち、5年後10年後に人が育っていなかったらという懸念が釜洞さんにはあった。「ベテランを抜かないと若手が育たない。懸念もありましたが、今のところ問題がないどころか、かなりうまく回っています」。
新しい役職を得て、今まで以上に能力を発揮できた人もいる。これまで補佐を務めていた社員をメインのオペレーターに抜擢すると、勤務態度も目に見えて変わったという。「君がやったんか。綺麗にできてるやん」と褒めるのも釜洞さんは忘れていない。責任がこんなにも人を変えるのだと改めて強く感じた。
社内改革ではコミュニケーション不足によるミスを避けるため、朝のミーティングなどでより社内の交流を図るようにした。そうすることで社員たちの小さい変化にも気づけるようになったと釜洞さんは感じている。「社内の風通しがさらによくなりました 。家族よりも長い時間をともに過ごす人達ですから、毎日楽しく働きたいというのがモットーです」。今後は社内のIT化を推し進め、社員の体力的な負担を軽減する改革をしていくという釜洞さん。オンラインショッピングが身近になり、段ボールの需要は右肩上がりではあるものの、ニーズの広がりに応じた戦略がますます求められる。若き新社長が牽引する「みかん箱屋」の更なる進化を期待したい。