街をつくり守るための
安全で丈夫な「骨」
株式会社 大平鐵工
代表取締役 太田 幹也さん新卒で保険会社に就職し、営業職を務める。仕事仲間とともに保険代理店の創業を目指し準備を進めていたが、高齢の父に代わって経営が悪化していた家業の立て直しを決意する。保険会社で培った営業スキルを活かし、新規顧客の開拓にも成功。「営業や交渉が好きなんですが、今は仕事が充分にあるのでこの数年は営業していないんです」と話す。
株式会社大平鐵工は、ゼネコンや設計会社から依頼を受け、建物の構造体である鉄骨等の製造から現場での組み立てまでを行っている。建物一軒あたりの構造材の数は何千にも及び、形状や寸法は千差万別。そのすべてにおいて小さな傷や凹み、歪みさえも見逃さない、高いプロ意識を持っている。
Section 1高品質な「骨」で
建物の安全を当たり前にする
オフィスビルやマンション、商業施設、工場など、街で見かける建物。それらが一度出来上がってしまうと目に見えないが、どの建物にとっても無くてはならないのが鉄骨等の構造材だ。「人間でいえば骨にあたります。私たちは『建物の礎となる骨をつくってください』という依頼を請け負っています」と話すのが大平鐵工代表取締役の太田さんだ。同社は1958年の創業以来、鉄骨等の建物の構造体を一貫して製造してきた。鉄道の駅から有名テーマパークのアトラクションまで、これまで手掛けた建物の構造体は数えきれない。
人間には何種類もの骨があるように、建物には何千もの構造材がある。そして、同じ人間がいないように建物の意匠もバラバラで個性的だ。「建物によって構造材の形は異なります。オンリーワンの部材も数多くあります。意匠にこだわる建物は特に構造材の種類が複雑になりますね」と太田さん。その一つひとつに求められる正確性はミリ単位だという。人間の骨のようなサイズではない。クレーンを使わないと作業ができないようなスケールの世界で、ミリ単位の精緻さが求められるというのだ。一連の作業は、図面に合わせて寸法を測り、切断や穴あけ、組み立て、溶接などを行う。言葉にすれば単純だが、そのひとつひとつの作業を究めた職人がおり、一人前になるには最低でも5~10年はかかるという。
「私たちの業界では特別なことではありません。高度な技術を当たり前のように行うことが大事だと思っています」。その言葉が意味するのは「建物の安全を当たり前にする」ということだ。卓越した技術を持っていても、人間である限り過信は禁物。だからこそ検査も重要視する。溶接の精度を確かめるために自社で超音波検査も行っている。しかし、そんな高精度な技術や検査を評価されるよりも、「当たり前のように建物が建ち、地震に耐え、何十年も安全を保っている」という事実こそが自分たちの最大の喜びになると太田さんは話す。
Section 2父が続けてきたものを
途絶えさせないために
今でこそ太田さんはこの仕事に誇りを感じているが、若い時は一切興味がなったという。大学を卒業後、保険会社に勤務。その後、保険代理店を仲間とともに立ち上げようと動き始めていた矢先に家業に戻ってくることになった。
大平鐵工は太田さんの父が戦後の復興期に創業した。戦時中、大阪には砲兵工廠があり、それを標的とした空襲によって大阪市街の多くが焼け野原になった。街の再建には建築材が大量に必要であり、鉄骨工場に勤めていた太田さんの父はそれをチャンスと捉え、独立を決めた。「父は寡黙な昔気質の職人なので、こういった話を聞いたのは、ずっと後になってからなんです」。創業のことはもちろん、父は家業について多くを語らなかった。
ただ、太田さんは高度経済成長期を過ぎたあたりから徐々に会社が傾いているような感じを受けていた。同時に父が高齢になり、職人としても思うようにいかない姿を見ることが増えていった。「この仕事に興味はなかったんですが、身内なんで根は切れないですよね。そんな思いから少しずつ父を手伝うようになり、いつの間にか家業に染まっていました」。
しかし、いざ家業の蓋を開けてみると、経営状態は危機的だった。財務状況の立て直しから営業、生産管理まで、手探りのなかで一つひとつ目の前のことをやっていくしかなかった。「それまでは自分で何でもやるタイプだったんですが、組織になると人をマネジメントできないとダメですよね。そこが難しくて、従業員と何度も対立しました」。
職人には職人の道理があり、経営側の理屈が全く通じない。たとえば生産性を高めようとしても自分のペースを崩さない。「結局、父の代からいた職人は全員辞めました。職人と経営者はまるで水と油。互いの道理が混ざるわけがないんです。それを行えばエゴの押しつけになります」。そんな教訓が太田さんの組織づくりを変えていった。
Section 3職人に望むのは
仕事への自覚とプライド
昔の職人は去ったが、学んだ教訓を生かすことで太田さんのもとには新たな職人たちが集まった。その中には現在八十代になる大ベテランもいる。「鍛冶工という組み立てを担当いただいているんですが、技術の精度は誰にも真似ができません」。工場を覗くと、職人の誰もがのびのびと働き、太田さんと気さくにやり取りをしている。水と油は混ざらないが、互いを認め合い、共存を楽しんでいるような雰囲気だ。
「私から求めるのは、安全等に関するルールを守ってもらうこと、そして多様な職人が揃わないと成り立たない仕事なので、自分の仕事への自覚と責任を持ってもらうことだけです。あとは、みんなを褒めることが自分の役割だと思っています」。職人の道理には踏み込まず、一人ひとりの自覚とモチベーションを高める言葉を添えるだけ。その言葉によって、職場が明るくなったり、職人にやる気が漲ったりする。「大したことは言っていませんが、言葉のマジックですかね」と太田さん。おそらく保険の営業で培ったトークスキルも生かされているのだろう。様々な経験や失敗を重ねることで独自のリーダーシップを形づくり、職人たちの信頼を得ている。
そんな太田さんがひとつだけ職人に強く言うことがある。それが今の仕事にプライドを持ってほしいということだ。「私たちがつくる構造体があるから建物が建ち、街が出来上がっていく。そのことを誇りにしてほしいんです」。
太田さんは時間があれば従業員を建物が完成した現場に連れていく。「自分たちが手掛けた構造材が最終的にどんな建物になったかを知る機会って案外少ないんです。だからこそ職人を現場に引っ張って来て、実物を見せています。私にとっては職人がそこで感動する姿が楽しみなんです」。この業界をめざす若者は減り続けている。技術が途絶えてしまえば安全な街づくりができないのではないか。太田さんはそう危惧しているからこそ、当事者である自分たちが仕事への誇りを持ち、その重要性を社会に広めていくべきだと強く訴える。
Section 4業界を変えることが
会社を変えることになる
人材不足による技術の断絶は大きな課題だが、もうひとつ業界の課題があると太田さんは話す。それが「図面の適正化」だ。ゼネコンや設計会社が作成した図面から構造計算を行い、いざ製作をすると、うまく収まらない。何度も図面を再調整する「図面合わせ」が必要になる。通常1,2ヵ月で製造できるものが、図面合わせだけで3ヵ月を要することも多い。なぜそんなことが起こるのか。図面を描く設計者や意匠者が構造材の製作工程を理解していないからだ。
「設計者にとっての一番のテーマは、コストダウンのために重量を減らすこと。それを机上の論理で行おうとすれば構造材の収まりが悪くなり、何度も調整する手間が発生します。結局、工数が増えてコストダウンになっていないんです」。ただ、この解決方法は簡単だと続けて話す。「私たちを図面作成の場に参加させてくれるだけでいいんです。そうすれば最初から収まりの悪いところがわかり、図面合わせの必要がなくなります」。だか、太田さんの声が聞き届けられることはほとんどない。設計ファーストの考えが業界内に根強くあるからだ。「業界全体が動かないのですが、私は諦めず訴え続けていきます」。太田さんには業界をより良くしたいという強い思いがあるのだ。
構造体を製造する工場は、その規模によってJ/R/M/H/Sの5つのグレードに分かれている。同社は中規模ビルまでの構造体を手掛けることのできるMグレードだが、太田さんは更なるグレードアップを目指している。「技術的には今より高いグレードに対応できます。ただ、構造体の規模を大きくするためには工場敷地を広げないといけない。そこだけが課題なんです」。今は新たな敷地探しに奔走中だ。「グレードが上がれば大規模な建築物にも携われ、自分たちの仕事にもよりいっそう誇りが持てます」。構造材のグレードアップは自分たちの仕事の魅力を高め、若い世代に興味を持ってもらえるきっかけになるかもしれない。技術を受け継ぐ次世代を育むことは業界全体の課題だ。太田さんは常に業界全体に目を遣り、会社の舵取りを行うべきだと考えている。