反骨と感謝で築いてきた
板金・プレス加工の発展形。
株式会社 松山
代表取締役 松山 三次さん玩具メーカーを経て株式会社松山に入社。父との衝突から何度も会社を辞めようとするが、周囲の説得から思いとどまり、自分の考えを貫いて事業を成長させた。趣味のゴルフではこれまでにホールインワンを4回経験。ホールインワンが出た時は、従業員やお世話になった方々にプレゼントを配るという。
新型タレットパンチプレスマシンを導入し、空調機器部品だけでなく、ワクチン保管容器関連部品などの新分野にも展開。ニーズへの柔軟な対応力と、量産を可能にするオートメーション化が、同業他社にはない松山の強みになっている。
Section 1無人で24時間稼働する伊賀工場
忍者の里、三重県伊賀市。のどかな田園風景が広がる一画に、24時間稼働し続けている板金・プレス加工の工場がある。日中は従業員の姿もあるが、夜は機械のみ。DXという言葉が叫ばれている昨今においても、同業界での完全無人化は先駆的だ。
東大阪市に本社を置く株式会社松山が、伊賀に工場を設けたのは約30年前。当時からその工場内の風景は同業他社と少し違った。
同社は金型製作から板金加工、プレス加工までを手掛け、主に大手メーカーから受注を受け、試作から量産までを一貫して行っている。依頼品の多くは、空調機器などの部品であり、多品種少量生産である場合がほとんどだ。一言でいえば「いかに効率的に、スピーディに抵コストで生産するかを求められる世界」だと代表取締役の松山三次さん。それは今も昔も変わらない。30年前から松山さんは、自分たちに求められていることをいち早く察知し、社内の改革を進めていった。当時では画期的な、見積や工程管理などを一元化して行える生産管理システムを導入。時代やニーズに応じてシステムの自動化をアップデートし、現在も業界の先頭を走り続けている。
「伊賀には同業他社の工場が数多くあったのですが、ぽつりぽつりと消えていきました。今でも残っているは当社の工場のみ。運がよかったんです」と松山さん。会社の歴史をひも解くと社内改革を動かす意外な理由も見えてくる。
Section 2先代への反発が
成長のエネルギーに
松山さんが入社したのは、21歳のとき。玩具メーカーの営業職に就いていたが、「人手が足りないから手伝え」という先代である父からの誘いに、しぶしぶ応えるものだった。当時は金属プレス金型製作を中心に、ほぼ家族でやり繰りしている状態。父は職人肌、一方で松山さんは営業畑上がり、反りが合わないのは明白だった。技術にこだわり外に目を向けない父に反発するように松山さんは、メーカーへの営業に力を入れ、そのニーズをくみ取り、多品種の量産に応えられる生産体制を築いていった。もちろんすぐに最適な生産システムを整えられるわけではないので、メーカーの無理難題に応えるために早朝から夜中まで働く日も多かった。
そんな松山さんに対して、父は「技術を何も知らないのに、何ができる」と従業員によく愚痴をこぼしていたという。逆に、松山さんは父の仕事には一切口を出さなかった。考え方が真逆で、気に食わない。でも互いの仕事に足を踏み入れることまではしない。
昔を振り返りながら松山さんは「当社が生き残れたのは、私と父の仲が悪かったから」と言葉をこぼす。技術と営業、内向き志向と外向き志向、完璧主義と柔軟主義、水と油のような両極端がビジネスを動かし、発展させていく。確執はあったが、二人が対立するエネルギーがライバル社にはない成長へ導いた。
Section 3外向き志向で
危機への予防線を張る
37歳の時、松山さんは代表取締役に就任する。「やっていけるかを見定めたい」と考え、1年間の試用期間を経ての正式な就任だった。入社時から徐々に築き上げてきた生産管理システムは軌道に乗り、売上は順調に伸びていったという。
しかし、ビジネスの世界は「一寸先は闇」。同社にも突如、そんな岐路がやってくる。自動販売機や食品機器部品を主に受注していたが、その納品先であるメーカーの工場が関東に移転することになったのだ。
この危機に、松山さんは撤退を即決する。
「移転先の工場を見学したとき、自動販売機事業は縮小させていく方針だということがわかりました。700キロ先に納品するというのも、不可能ではないけど無理な話。スパッと見切りをつけました。意思決定は早いんです」。
それは一見、無謀にも見えるが、実は用意周到な結論だった。工場移転の噂を耳にした時点から持ち前の営業力を活かし、新たな販路を開拓。代替となる受注先を確保しながらの決断だった。松山さんの外向き志向は、危機を脱するための道を多方向に広げていたわけだ。父への反動を力に変えて、ずっと取り組んできたことが、会社をピンチから救うことにもなった。
Section 4マネジメントの根底には
恩への感謝がある
先代と松山さん、その反発しあう関係が会社を大きくした。
ただ、それ以上に松山さんは従業員の支えも大きな理由だと考えている。頭の中は常に「従業員の生活をいかに守っていくか」ということでいっぱいだという。
社内の人間関係を敏感に察知し、コミュニケーションを図ったり、人員を配置したりという組織マネジメントから、給与日には手土産をあわせてプレゼントするといった松山さんの人柄が垣間見えるものまで、従業員への優先度を高くしながらあらゆる意思決定を行い、一人ひとりへの気配りをとても大切にしている。
これまで会社がどんな危機になっても、従業員の収入を減らすことはなかった。その事実にこそ、従業員を大切にしている思いが伝わってくる。
「恩は忘れないタイプなんですよ。従業員に自分たちの想いが伝わるとは期待していません。ただ、一緒に働いてもらえることに感謝をし、しっかりと生活は保障したいです」。
従業員はもちろん、顧客から家族まで、恩をいかに返していくか。細かな心配りから、従業員の働きやすさも考慮した生産管理体制の整備まで、「恩への感謝」がマネジメントの重要な要素になっている。もしかしたら、それこそが株式会社松山が発展し続ける最大の理由なのかもしれない。
株式会社松山
(本社)〒577-0825大阪府東大阪市大蓮南5丁目10番3号
(伊賀工場)〒519-1415三重県伊賀市柏野380
TEL:06-6792-2335(本社)
URL:http://www.matuyama.co.jp
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