理系アーティストが
エンターテイメントに革新をもたらす

株式会社 世阿弥Entertainment

代表取締役 横山 大地さん

大学院で電気工学を修めたのち、液晶ディスプレイの開発プログラマーとして企業に就職。4年後に脱サラし、株式会社世阿弥Entertainmentを立ち上げる。「ものづくり」と「エンターテイメント」を主軸に、音楽・創作活動をするアーティストやクリエイターをサポートしている。社名には日本最古のエンターテイメント「能」を確立した世阿弥の精神に共鳴する横山さんの意思が表れている。

オリジナルグッズ製作のほか、イラストレーターが所属するレーベルを立ち上げ、グッズを販売。世阿弥ブランドを確立しながらも、イラストレーターの安定したマネタイズにもつながる。横山さんは常にサポーターとして「アーティストにとってのベスト」を追求している。

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世阿弥のもう一つの顔は、「レーベル」。ミュージシャンのコンサルティングが横山さんの経歴の中で最も長く、それは大学時代まで遡る。当時ミュージシャンの活動をしながら、年間150本のライブに通っていた横山さんは、その中で多くの実力あるバンドが夢を諦める様子も見てきた。横山さんは彼らに声をかけ、スタジオで録音した音源をCD-Rにコピーして販売した。アーティストを発掘し、彼らが事務所に所属してレーベル契約ができるまでの活動を裏方としてサポートする。世阿弥の「エンターテイメント」の起源はここから始まった。横山さんがこれまでに手掛けたバンドの中には、今やJロックを牽引する大物もいる。

東京出身の横山さんと大阪の江坂を引き合わせたのは、新卒で入社した企業だった。大学院で電気工学を学び、卒業後はエンジニアとして液晶テレビのディスプレイ開発に携わった。会社員になったあとも、大学時代からのレーベル活動は続けていた。
「副業という立ち位置になるんでしょうけれど、趣味のように好きで取り組んでいたことだったので辛いと思いませんでした」。
フルタイムで会社員をして、帰宅後は深夜までレーベルの作業をしていたと当時を振り返る横山さんだが、今でも夜遅くまでオフィスで仕事をしていることが多い。その行動力の源は、新しいものに挑戦を続け、手を動かしながら答え合わせをしていくエンジニア的好奇心にあるのかもしれない。

会社員とレーベルの二足の草鞋を履いた約4年の生活に終止符を打ったのは、エンジニアとしての仕事に満足できたと自分の中で感じたからだ。一つの事に向き合って極める職人ではなく、好きなことにどんどん挑戦していきたい横山さんらしい選択だった。脱サラした翌日に、世阿弥の法人を設立した。とにかく動く、動けば次の課題が見える。これが理系アーティスト・横山さんのモットーだ。

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大阪・江坂に本社を構える世阿弥Entertainment(以下 世阿弥)という企業を、一言で表すのは至難の業だ。代表の横山さんは、クライアントに合わせて「グッズ制作」「レーベル」「雑貨屋」「フォトグラファー」と、名乗りを変える。そのマインドは常に「アミューズメント業」。やりたいことに挑戦を続けていく、横山さんの性格がそのまま会社の事業に反映されている。

現在、世阿弥の主な事業はオリジナルグッズ製造だ。缶バッジにはじまり、ステッカーやアクリルグッズなども扱っている。小ロットから注文できるため、主要顧客の8割がインディーズのバンドやイラストレーターなど、個人で活動するアーティストだという。「元々、私自身が音楽活動をしていたんです。そこからミュージシャンの交流が広がって、アーティストをサポートするために自分にできることはないかと考えました。」

新人アーティストが限られた資金で活動を継続させるためには、製造単価を安く抑え、捌ける在庫数でグッズを売ることが重要だ。世阿弥では缶バッジは最小単位30個からオーダーを受け付けているが、これは業界的にも珍しく、小ロットからグッズ販売を始めたい新人アーティストにとって非常にありがたいサービスだ。二次創作・アイドル活動などのブームも後押しし、オリジナルグッズ製造のサービスは増えてきたが、世阿弥のように工房を併設する業者は少ない。JPEGの画像を1つ送れば、デザイナーが印刷用データに変換し、すぐに工房で印刷が始まる。この工程が一か所で完結することも世阿弥の強みと言える。アーティストの目線を持ち、古くから彼らと関係を築いてきた横山さんならではの「ものづくり」のあり方だ。

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缶バッジの会社が、なぜ古典芸能の役者の名前を看板にしているのか。バンド、大道芸、歌舞伎・・・エンターテイメント好きな横山さんならではの視点がそこにある。日本最古のエンターテイメントである能は、約600年前までは上流階級の娯楽だった。優れた能役者だった観阿弥・世阿弥親子は、大衆向けの演目を作り、町人たちにも楽しめるように能を改革していった。優れたプロデューサーでもあった世阿弥は、世界最古の芸術論書物「風姿花伝」を書き上げている。舞踊論、演出論などのほか、現代のビジネス書でも取り上げられる「座」の経営論も発表した。

世阿弥の名前を借りたのは、そんなエンターテイメントの革命家精神に共鳴したから。世阿弥が残した“初心忘るべからず”の言葉を胸に、今まさに自分の夢に向かって漕ぎだした新人アーティストたちを支えていきたいと強く思った。

SNSの普及により、事務所や出版社に所属しなくても個人がそれぞれの活動を発表し、ファンを獲得することが容易になった現代。個人で活動するアーティストにとっては「グッズ販売」が大きな収益源となる。Tシャツよりも原価が安く、資金の少ない個人アーティストがファンに身に着けてもらえるものといえば、「缶バッジ」だった。画期的だったのは、発注をオンラインで日本全国から可能にしたことだ。2001年この事業を始めた当時、CD屋や印刷屋の一角でグッズ製作を引受けるサービスはあったが、オンラインで完結するサービスは珍しかった。ここにも横山さんの中の世阿弥スピリットが見えてくる。
「缶バッジの起こりは、アメリカの大統領選。候補者への支持を表明するためのアイテムでした。今でも好きなバンドやアニメなど、やはり自分のアイデンティティを示すためのツールとして普及しています。僕たちが作った缶バッジが、アーティストとファンをつないでいる」。横山さんが大学生当時、アメリカから取り寄せた缶バッジ生産の業務用機器は今でも現役だ。

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開始当初はミュージシャン専用としていた缶バッジオーダーだったが、その後雑誌の付録などの需要が高まり、アパレルメーカーからの発注が入るようになった。2010年ごろからはデジタルイラストソフトの普及などで二次創作が盛り上がりを見せ、新たにステッカー製作も開始。現在業界で特に人気があるのは、キャラクターを印刷したアクリルキーホルダーやスタンドなどの「アクリルグッズ」だ。

4年間のエンジニアの経験が、今の缶バッジの仕事に大いに生きている。一見なんの関係もなさそうな両者だが、エンジニア時代に担当した「ディスプレイ」の知識は、グッズの色味を調整するために一役買っている。お客さんからも「世阿弥の製品は発色がいい」と定評がある。アーティストが思いを込めてデザインしたキャラクターの色を、アーティストが思ったように印刷・加工してグッズ化するのには、色味の設定についての深い造詣が必要だ。世阿弥では、完成した製品を一つ一つ検品し、わずかでも要望基準に満たないものは廃棄している。この徹底した品質へのこだわりと再現度の高さが、口コミによる新規顧客や多くのリピーター獲得につながっている。

世阿弥が今開発しているのは、お客さんが1枚絵からオートメーションでグッズ化できるシステムだ。デザイナーによるデータ変換などを挟まないため、より低コストで1個からでも効率よく製作ができる。「販売せず個人で楽しむために自分の作品をグッズにしたい」そういった声が届くのも、横山さんがこれまでに築いてきたアーティストとの信頼関係があってこそだろう。世阿弥が江坂に構えるギャラリーを見ると、この距離の近さがわかる。「今後はウェブ上で参加できる新しいタイプのギャラリーを構想しています。ただ閲覧するだけではなく、ものづくりにもつなげていくのが理想です」。
横山さん自身、今後の世阿弥の展開は未知数なのだそう。面白いことがあればやってみる“世阿弥マインド”によって、10年後のエンターテイメントは大きく変わっているかもしれない。

株式会社世阿弥Entertainment

〒564-0051大阪府吹田市豊津町21-10-2F
TEL:06-6384-8422
URLhttps://zeami.co.jp/

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